スクリーンで初めて見た真実
公園を歩くサンオクとジョンオクは、通りすがりの女性に写真撮影をお願いする。写真を撮り終えた女性は、かつてサンオクがテレビドラマに出演していた頃のことを覚えていた。通りすがりの人がその人のことを覚えているというシチュエーションは、これまでのホン・サンスの映画に繰り返し描かれてきたシチュエーションでもある。
このシーンでは、通りすがりの女性がサンオクを撮影する前ではなく、サンオクを画角に収めた後に一連の会話が続いていくところに注目したい。おそらくこの女性はサンオクを画角に収めた瞬間に初めて「元俳優のサンオク」に気付いたのだろう。姉妹はこの女性の識別能力の高さに驚く。しかし彼女がカメラを介すことでサンオクの俳優としてのイメージを識別したことには気付かない。もう一度サンオクの出演している作品を見たい旨を告げ、女性は去っていく。
俳優としてのサンオクの姿をもう一度見たいと同じく願う映画作家ソン・ジェウォンを、ホン・サンス作品の常連クォン・ヘヒョが演じている。サンオクとジェウォンは、傑作『次の朝は他人』(11)の舞台にもなった「小説」という名の居酒屋で会合する。「小説」の店主は不在だ。『次の朝は他人』と同じく、居酒屋の店主は信頼する人に店の鍵を預けて不在にすることが多いという。ジェウォンは、かつてスクリーンで出会ったサンオクの思い出を本人に切々と語り始める。ジェウォンにとってサンオクは「スクリーンで初めて見た真実」だった。公園でサンオクを撮影した女性も、あのとき同じことを思っていたのかもしれない。
『あなたの顔の前に』© 2021 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved
ここでジェオンが語る、かつて見た映画の中で冬の風を一身に浴びていたヒロインのイメージをイ・ヘヨンの父イ・マンヒ監督の撮った韓国の伝説的な作品『休日』(68)のヒロインのイメージと重ねるJawni Han氏による仮説はとても興味深い。『休日』はホン・サンスの母親がプロデュースした作品でもある。*1
室内楽団のような響き
本作の多くを占める居酒屋「小説」のシーンは、ホン・サンス自身が回すカメラと俳優の演技、その空間と時間の芸術性が最高密度で記録された出色のシーンだ。イ・ヘヨンは初めてのホン・サンス作品への参加について、俳優としてこれまでにない自由を感じたとインタビューで語っている。このシーンには二人の俳優によるリズムと説得力の獲得、演じることの自由を発見していく経過が剥き出しに記録されている。
サンオクはギターを手に取り「メヌエット ト長調」を弾く。記憶を辿りながら弾かれるアコースティックギターのぎこちない響きは、彼女の私たちが知らない記憶をこの空間に手繰り寄せる。二人の俳優の演技が生演奏の響きと相互に響き合い、まるで室内楽のような美しさを獲得している。監督、脚本、撮影、編集に留まらず、劇伴さえも手掛けている現在のホン・サンスは、子供の歌のようなたどたどしい響きを音楽に求めているという。ホン・サンスの映画に参加するということは、彼が率いる室内楽団で演奏をするということなのかもしれない。音楽の果たす役割について、ホン・サンスは次のように語っている。
「音楽が強すぎると、私が映像の中でやっていることと衝突してしまいます。それを見たくないのです。音楽からエモーショナルな助けを得たくもありません。音楽は真ん中に置いて、少し独立した響きを持たせながら、一緒に演じるための手助けをしてほしいのです」*2