2022.07.04
ミステリーとしてフェアか、アンフェアか
※真犯人に関する記述がありますので、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
『オリエント急行殺人事件』は、間違いなくミステリー史上に燦然と輝く金字塔である。同時に、本格推理小説としてはかなり変化球的な、トリッキーな作品でもある。何しろ真犯人は、オリエント急行に乗り合わせていた12人の容疑者全員だったのだから。
ミステリーとしてコレがフェアなのかアンフェアなのかは、評論家やファンの間でも長年議論されてきた。1928年にロナルド・ノックスが発表した「ノックスの十戒」は、基本的な推理小説のルールブックとしてよく知られているが、特に犯人の人数については記載されていないため、それに則ればフェアということになる。
1. 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
2. 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
3. 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
5. 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
9. 探偵の相棒役は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
10. 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
『オリエント急行殺人事件』(c)Photofest / Getty Images
その一方で、推理作家S・S・ヴァン・ダインが発表した「探偵小説作法二十則」には、「いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない」という記述があるから、それに照らし合わせればアンフェアということになってしまう。
だが、映画版『オリエント急行殺人事件』が傑作と成り得たのは、ミステリーとしてのフェアネスや整合性ではない。名探偵ポアロが最終的に解き明かすのは、アリバイのトリックではなく、12人の乗客たちが心の奥にしまい込んでいた“悲しみの感情”。「赤穂浪士」のような仇討ち物語がベースになっているからこそ、本作はヒッチコックが言うところの「一種の知的なパズル・ゲーム」から脱却し、「エモーション」に溢れた人間ドラマとして成立しているのだ。