警察バッジが俳優の身を守った!?
そもそもカーナハンは、警官殺人事件を扱ったドキュメンタリーに触発され、大学時代に短編映画を撮っていた。この実際の事件は彼の頭から離れず、短編を長編化するという試みがなされた。これが本作の製作の始まり。カーナハンはまずリオッタに脚本を送る。リオッタは、この脚本に惚れ込み、プロデュースをも買って出た。当時の彼の妻で、映画製作者ミッシェル・グレースも製作のひとりに名を連ね、当時ハリウッドでは無名だったカーナハンを後押しする。
パトリックもこの脚本に惚れ込み、ニックがこれまでに演じたことのないキャラクターであったことから出演を引き受ける。彼もリオッタも、ハリウッド大作に出演すればそれなりの出演料がもらえる立場だ。しかし、本作は無名の監督が撮る低予算映画であることは明らかだった。それでも彼らは、タダ同然のギャランティで出演を引き受けた。カーナハンによる本作の脚本は、それほどまでに強烈な吸引力があったのだ。
撮影に関しても予算の縛りがあった。デトロイトで撮ったのは、わずか1日。それ以外はデトロイトに気候が似ており、予算も割安となるカナダ、トロントで撮影を行なった。デトロイトで撮った場面は、ニックやヘンリーがストリートに出て、聞き込みを行なうシーン。パトリックは警備の警官から本物の警察バッジを借りて、ストリートにたむろする人々に実際に話しかけた。本物のバッジでなければ、怪しまれ、命の危険に直面することになる……。まさに命がけの撮影だったが、本作のドキュメンタリーのような臨場感は、そんな撮影方法に支えられているのだ。
『NARC ナーク』(c)Photofest / Getty Images
T・クルーズによって敷かれたレール
映画は完成したが、なにぶんインディーズ製作。公開される劇場数が限定されるのは、しょうがないことだった。ところが、ここで思いもよらぬ幸運が舞い込む。試写を見たトム・クルーズが本作を気に入り、より大きな規模で公開するべきだと大手スタジオ、パラマウントにかけ合った。ハリウッド大作ほどの規模ではないにしても、650万ドルという低予算(参考までに、同年に公開されたクルーズ主演作『マイノリティ・リポート』の製作費は1億ドル)映画にしては申し分ない公開体制が敷かれ、最終的にはアメリカ公開だけで黒字となった。
リオッタ、パトリック、クルーズは、いずれも60~70年代の映画を劇場やテレビで浴びるように見てきた世代であり、その時代に強い思い入れがある。この時代の骨太な社会派サスペンスを現代に甦らせたカーナハンに共鳴するのは、必然的だった。本作を語るうえで、もっとも引き合いに出されるのは『フレンチ・コネクション』(71)だ。国際的な麻薬シンジケートを追う同作の主人公は、捜査のためなら荒っぽい手段もいとわない。その姿を、『NARC ナーク』のヘンリーに重ね合わせるのは自然なことだ。
また、ニット帽に髭面のニックの容姿はシドニー・ルメットの名作『セルピコ』(73)の主人公をほうふつさせる。アル・パチーノが扮した同作の主人公、NY市警の新米警官セルピコは正義を信じるマジメな男で、自身のやり方を信じて麻薬犯罪を追ったあげく、汚職まみれの同僚たちを敵に回すことになる。このシチュエーションも『NARC ナーク』のニックに重なるところが多い。