侵入者は誰か?
「物語を語ることで自分を怖がらせようとする、つまり想像力の最も暗い部分に入り込もうとする子供のような気持ちでした」(クロード・ソーテ)*1
マックスは何もないところから丹念に犯罪を作り上げていく。リリーの心の中にサブリミナル効果のように侵入していくマックスの影。マックスによるリリーを介した遠隔操作はじわりじわりと成果をみせていく。ある日、アベルはリリーに忠告される。「あんな仕事を続けてちゃいけない」。アベルはかつてマックスから似たような言葉をかけられたことがある。「俺なら違うやり口を探すな。つまりやるなら、もっとデカい仕事だろ」。何度も不可解な会合を重ねる内に、いつの間にかリリーはマックスに洗脳されている。マックスの分身化がここに完了する。
完全犯罪を夢見ているかのようなマックスに少しの狂いが生じるのは、リリーが金銭の受け取りなしに会いに来たときからだ。マックスが時計を修理するシーンは、物語の伏線的な象徴性に富んでいる。計画は常に正確でなければならない。少しの狂いが、大きな狂いになっていく。クロード・ソーテによると、ミシェル・ピコリは衣装を着た瞬間に、マックスというキャラクターの狂気の背景にある大きな哀れみを理解していたという。
『マックスとリリー』© 1971 STUDIOCANAL
リリーはマックスの本当の姿を知らない。むしろ知ることができないからこそ、マックスの背後にある哀れみを感じ取っているのかもしれない。リリー役をどうしても演じたかったロミー・シュナイダーは、自信に満ちた身振りを見せた次の瞬間、一気に崩れてしまうようなリリーを完璧に演じている。ロミー・シュナイダーとリリーには、獲得への自信と喪失への怯えが常に同居している。
『マックスとリリー』(71)は犯罪に至る丹念な回り道を描いている。狂気に囚われた一人の人間による周到な遠隔操作が描かれることで、本作は異形の犯罪映画として成立している。ほとんど表情を変えずに計画を遂行していくマックスの心の暗部は、誰にも理解できない。そして彼の周りにいる者は、マックスが最後に取った破局的な行動を永遠に理解できないだろう。しかしリリーの心の暗部にマックスの影が侵入していったように、マックスの心の暗部にもリリーの影は確実に侵入している。二人が最後に交わす視線には、お互いへの哀れみが溢れている。マックスとリリーは、お互いの心の最も見てはいけない部分、心の深淵を覗き見てしまったのだ。
*1 「Conversations avec Claude Sautet」(Michel Boujut)
*2 「ロミー 映画に愛された女 -女優ロミー・シュナイダーの生涯」(佐々木秀一著/国書刊行会)
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『マックスとリリー』
「没後40年 ロミー・シュナイダー映画祭」
8/5(金)~8/25(木) Bunkamura ル・シネマ他全国順次公開
主催:マーメイドフィルム 配給:コピアポア・フィルム 宣伝:VALERIA
© 1971 STUDIOCANAL