© 2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
『彼女のいない部屋』彼女の旋律、まだ知らない懐かしさ
ハイパーリアリズム/イミテーション・オブ・ライフ
ロバート・ベクトルの絵画が飾られている部屋。ロバート・ベクトルは、アメリカの中産階級の人々の生活や風景を写真に収め、それを克明にトレースしていくハイパーリアリズム・フォトリアリズムの絵画作品で知られている。現実以上の現実。ロバート・ベクトルに迫るドキュメンタリーには、定規を片手に精緻な筆致で写真を模していく過程が収められている。そして『彼女のいない部屋』における映像のルックが、ロバート・ベクトルのいくつかの絵画作品のルックとかなり似ていることに驚かされる。
マチュー・アマルリックとヴィッキー・クリープスは、ロバート・ベクトルの絵画をトレースすることで、現実を超えた現実に近づこうとしている。部屋に飾られたロバート・ベクトルの絵画、そこに描かれた母親の肖像を指でなぞっていく少女。たった今、少女は何かに近づこうとしている。それは既に知っている懐かしさなのかもしれないし、まだ知らない懐かしさなのかもしれない。
『彼女のいない部屋』(c)Charles Paulicevich - 2021 LES FILMS DU POISSON - GAUMONT - ARTE FRANCE CINEMA - LUPA FILM
マチュー・アマルリックは、ジャンヌ・バリバールと再び組んだ『バルバラ セーヌの黒いバラ』(17)において、偉大なシャンソン歌手バルバラのアーカイブ映像を完璧にコピーしたショットを撮ったり、挿入したりしている。バルバラの所作を精緻に模倣していくジャンヌ・バリバールには、演技の魔法が宿っている。マチュー・アマルリックはあえてアーカイブ映像を正確にトレースしていくことで、現実を超えた現実を求めたのだろう。それは実在の人間を演じること、更に演技をすること自体への問いにもなっていた。ジャンヌ・バリバールの身振りの一つ一つには、メロディを構成していく音符のような魔法が宿っている。『彼女のいない部屋』のヴィッキー・クリープスの演技にも同じことがいえる。
マチュー・アマルリックは『彼女のいない部屋』の撮影にあたり、撮影監督のクリストフ・ボーカルヌにフランシス・フォード・コッポラの『雨のなかの女』(69)を参考映像として提案したという。バーバラ・ローデンの『WANDA/ワンダ』(70)と同じく、家庭を捨てた女性による彷徨が描かれたこの作品は、今日のフェミニズム映画を考える上でも重要な作品だ。『彼女のいない部屋』のクラリスの羽織るブラウンのジャケットには、『雨のなかの女』のヒロインのイメージが引用されている。引用という次元においても、記録されたものを書き換えていくというテーマは、思い出のポラロイド写真から新たな物語を紡いでいくクラリスの姿と共振している。