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『WANDA/ワンダ』結末を拒否するヒロイン、終わりのない彼女の物語

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『WANDA/ワンダ』結末を拒否するヒロイン、終わりのない彼女の物語

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『WANDA/ワンダ』あらすじ

ペンシルベニア州。ある炭鉱の妻が、夫に離別され、子供も職も失い、有り金もすられる。少ないチャンスをすべて使い果たしたワンダは、薄暗いバーで知り合った傲慢な男といつの間にか犯罪の共犯者として逃避行を重ねる…。


Index


アンチ・ヒロイン像



 「彼女は閉じ込められていて、決してそこから抜け出せない。彼女のような人は何百万人もいる」(バーバラ・ローデン)*1


 「彼が離婚したいなら構わない」。離婚調停裁判でワンダ(バーバラ・ローデン)は裁判官にそう告げる。パジャマのような装いのワンダは、髪にカーラーを巻いたままバスに乗って裁判所に移動する。タバコを吸いながら登場するワンダは、裁判に遅刻している。傍聴席には夫が結婚する予定だという新しい妻も来ている。ワンダは夫と子供をあっさりと捨てる。しかし彼女に悔しさや不敵さを感じることはできない。


 バーバラ・ローデンは演技上でも演出上でもワンダというヒロインをカリスマチックに撮ることを避けている。いまにも目の前の風景から消えてしまいそうな稀薄なヒロイン。不当な扱いを受けているヒロイン、無視されたヒロインとして、バーバラ・ローデンは逆説的な形でワンダをフィルムに浮かび上がらせている。


『WANDA/ワンダ』予告


 夫であるエリア・カザンの『草原の輝き』(61)でバーバラ・ローデンが見せたような反抗的な女性の肖像、それとは真逆のアプローチが本作にはある。ワンダは何かに反抗をしている女性では決してない。むしろ流されるがままに受け身の人生を送っている。公開当時、一部のフェミニストたちが本作を批判した理由はそこにある。人生を変えようとしない受け身の女性像。しかしバーバラ・ローデンは、男性社会に対して受け身のワンダをあえて描出するアプローチをとっている。ここではワンダという稀薄なヒロイン像自体が、男性的価値観への「告発」になっている。バーバラ・ローデンには、映画が描くファッション化された「新しい女性像」に対する不信感があったという。


 「子供の頃は映画が嫌いでした。スクリーンの中の人々は完璧で、私は劣等感を感じていたのです」(バーバラ・ローデン)*2


 映画が始まった瞬間からワンダは稀薄なヒロインとして扱われる。観客がワンダの顔を認識するまでに、バーバラ・ローデンは時間をかけている。ベッドでうつ伏せになって寝ているワンダの周辺をあえて優先的に描写する。まるでこの家庭の中に彼女の居場所などないかのように。部屋に飾られた小さなアメリカ国旗が、バーバラ・ローデンの主題と反響している。ワンダは家庭という共同体から追い出される。身寄りのない彼女の旅が始まる。


 そしてペンシルバニアの炭鉱採掘場を歩くワンダを捉えた超ロングショットが、風景に溶けてなくなりそうなヒロインの稀薄さと共に、本作が只ならぬ映画であることを告げている。長らく忘れ去られていた『WANDA/ワンダ』(70)は、現在では女性俳優兼映画作家のパイオニア的傑作という評価に留まらない支持を得ている。





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