2022.10.25
光を招き、恋を招き入れるハーモニウム
筆者が『パンチドランク・ラブ』をこよなく愛する最大の理由は、ショットの一つ一つに図像的な意味が込められていること。つまり、極めて映画的なのだ。
オープニングのシーンを例に挙げてみよう。殺風景なオフィスの片隅で電話をかける主人公のバリー。何やら彼は、飛行機のマイレージが貯まるキャンペーンについて問い合わせをしているようだ。カメラは向かって左に佇むバリーを引きのポジションで捉え、右半分はスッカスカという謎の構図。しかも壁の一部はブルーで塗りたくられ、真っ青なスーツに身を包んだバリーは完全に風景の中に埋没している。このオープニングが示唆するものは、極めて明らかだ。
その1:オフィスの片隅にいる→バリーは精神的に追い詰められている。
その2:壁の色とスーツの色が同じ→バリーは社会に埋没している。
その3:マイレージを貯めて飛行機に乗ろうとしている→バリーはそんな自分を変えたいと願い、新しい世界へと飛び出そうとしている。
やがて、コーヒー片手にオフィスを飛び出すバリー。サンフェルナンド・バレーはまだ夜明け前で、ほのかに薄暗い。突然目の前で車が横転し、続いて謎のトラックがハーモニウム(オルガンの一種)を置いて去っていく。このシーンが意味するものも、これまた明らかだ。
その1:車の横転事故→バリーはこれからトラブルに巻き込まれる。
その2:ハーモニウム→バリーはこれからロマンティックな出会いを果たす。
やがて朝を迎えたサンフェルナンド・バレー。光に包まれるようにして、バリーにとっての天使リナが現れる。いささか風変わりな鍵盤楽器ハーモニウムが光を招き、恋を招き入れるのだ。洗面所で暴れてレストランから追い出されたバリーとリナが、車の中でハーモニウムについて語るシーンがあるが、画面にハレーションのような光線が映り込んでいるのは、非常に象徴的と言えるだろう(しかも二人が車に向かう途中で、ハーモニウムを載せていたトラックが横切る)。
『パンチドランク・ラブ』(c)Photofest / Getty Images
ハワイに到着したバリーが苦心惨憺してやっとリナと喋れた時に、ライトが点滅する電話ボックス。ホテルで二人が抱き合うシルエットの向こう側で燦々と注がれる陽光。うぶな二人の恋は光によって祝福される。
ちなみに、カート・ヴォネガットの有名なSF小説「タイタンの妖女」には、ハーモニウムと呼ばれる生物が登場する。
この生物は、洞窟の中の歌う壁にくっついている。 そうやって、彼らは水星の歌を食べる。 水星の洞窟の奥まった所は、暖かく居心地がよい。 水星の洞窟の奥まった壁は、燐光を発している。黄水仙のような光を放っている。 この洞窟に住む生物は、半透明だ。彼らが壁にくっつくと、壁から出る燐光はそのまま彼らの体を通りぬける。しかし、壁からの黄色の光は、この生物の体を通りぬけるとき、あざやかな藍玉色(アクアマリン)に変わる。(カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」より抜粋)
完全に筆者の妄想だが、ハーモニウムが“光の象徴”となったインスピレーションの源泉は、この小説によるものかもしれない。
本作以降、彼はギアを一段上げて『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)、『ザ・マスター』(12)、『ファントム・スレッド』(17)など、不穏で不吉な、闇に包まれた作品を次々と送り出すことになる。私たちが再び光に包まれたPTA作品に遭遇するには、『リコリス・ピザ』(21)まで待たなければならなかった。きっとこれからは、サンフェルナンド・バレーに差し込む陽光のように、目がくらむほど眩しい映画を届けてくれることだろう。
(*)https://www.rogerebert.com/interviews/love-at-first-sight
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images