アンチモラルなテーマ
『愛のメモリー』は、資金の調達に至難を極めた。そりゃそうだろう。本作は、非常に危ういテーマを孕んでいたのだから。“近親相姦”というテーマが。
サンドラの正体は、実は愛娘のエイミー。そうと知らず、マイケルは彼女に亡き妻の面影を見出し、心から愛してしまったのである。思えば、『めまい』は、ある男がこの世にはもういない女性の影を追い求める物語だった。そして、別の女性に故人と同じような洋服、髪型に仕立てることで、黄泉の国から死人を蘇らせようとする物語だった。『愛のメモリー』はその変奏として、“近親相姦”というモチーフを取り込んだのである。本編では削除されているが、元々のシナリオでは二人が愛し合うシーンも存在していたという。ポール・シュレイダーはその必要性を訴えたが、周りは及び腰だった。
「なぜそうなったのか、想像がつかない。プロデューサーがPG(筆者注:保護者の同伴および助言が必要なレーティング)を失うと思ったからかもしれない。結局、近親相姦の暗示だけが残った。決定的なトリガーはなくなってしまったんだ」
『愛のメモリー』(c)Photofest / Getty Images
アンチモラルなテーマに真正面から斬り込むことで、「純粋な恋愛のかたちを描ける」とポール・シュレイダーは考えたのかもしれない。だが、ブライアン・デ・パルマはもちろん、多くのスタッフが直接的な近親相姦描写には反対の立場をとった。編集を担当したポール・ハーシュはこう語る。
「基本的に、ロマンティックなミステリーに近親相姦を持ち込むのは間違いだと思ったので、ブライアンに“もしそれが起こらなかったら?二人が結婚する代わりに、マイケルが結婚を夢見るだけにしたらどうだろう?クリフ・ロバートソンが眠っているショットがある。それを使って、結婚式のシークエンスに切り替えたらどうだろう”と提案した。そして、それを実行したんだ。事実ではなく、彼の願望を投影したものになったんだ」(※)
映画のラストも、ポール・シュレイダーのシナリオから大きく改変された。完成版では、マイケルがサンドラを殺すために空港ターミナルに駆けつけ、彼女が実は16年前に失ったはずの娘であることに気付き、強く抱きしめるところで終幕を迎える。だが元々のシナリオでは、さらにもうひとり加えられていた。
マイケルは、彼の財産を奪おうとしたロバート(ジョン・リスゴー)を殺害した罪で逮捕され、精神病院に収容されてしまう。やがて10年の月日が経過し、釈放された彼はサンドラに復讐を果たそうと決意。銃を片手に、フィレンツェの教会に舞い戻る。だが、そこにいたのは心神喪失状態の娘の姿だった。教会の神父は、彼女を救う唯一の方法は「もう一度彼女を誘拐し、救出する芝居をすることだ」と諭す。マイケルは忠告通りに誘拐の芝居を実行し、正気に戻ったサンドラは父親を抱きしめる…というものだった。
だが、デ・パルマはこのラストを丸々カットしてしまう。脚本を全部撮影すれば、3時間を超える映画になってしまうことは自明の理だったからだ。監督と脚本家の間には、埋めがたい溝が生まれてしまう。そしてもう一人、「そんなラストは必要ない。彼らは最後には一緒になるべきなのだ」と改変を強硬に訴えた人物がいた。音楽を手がけたバーナード・ハーマンである。