B級映画に対する愛
公開されるやいなや、『ボディ・ダブル』は物議を醸した。女性が電動ドリルで殺害されるというショッキングな内容もさることながら、「電動ドリルは男性器の象徴なのではないか?この作品は、女性に対する強姦行為のメタファーなのではないか?」と言う論調が沸き起こったのだ。ブライアン・デ・パルマは、このように弁解している。
「『ボディ・ダブル』は公開当時、酷評された。本当に傷ついたよ。女性解放運動が盛んな時期に、マスコミに叩かれたんだ(中略)。この作品は単なるサスペンス・スリラーで、人を殺す新しい方法を見つけることに、いつも興味があっただけなんだよ」(*2)
血まみれのドリルが女性の体を貫き、天井を突き破るというホラー的演出が、フェミニズム的な側面から誤読されてしまった、と彼は主張しているのである。だが、もはや手遅れだった。順調にキャリアを積み重ね、A級監督として認められてコロンビア・ピクチャーズから3本映画を撮る契約を締結したものの、あまりの不評と客の不入りによって、残り2本の製作は白紙に戻されてしまった。
『ボディ・ダブル』(c)Photofest / Getty Images
なぜ、ブライアン・デ・パルマはここまでして『ボディ・ダブル』の製作にこだわったのだろうか?ローレンス・カスダン監督の『白いドレスの女』(81)が興行的に成功し、当時エロティック・スリラーが人気のジャンルだったのは確かだが、ここまであからさまなB級映画を作る必要はなかったはず。筆者の想像だが、彼は自分をここまで育ててくれた映画への愛を…とりわけB級映画に対する愛を、この作品を通じて届けたかったのではないだろうか。
本作には、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのヒット・ナンバー「リラックス」のPV風シークエンスがインサートされているのだが、ジェイクが階段を降りていくショットでチラリと映っているのは、『サンセット大通り』(50)の主人公ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)のソックリさん。ビリー・ワイルダー監督によるこの傑作は、ハリウッドの光と影を切り取った“映画に関する映画”だった。デ・パルマもまた彼なりのやり方で、“映画に関する映画”を撮りたかったのではないか。それは、70年代ポルノ業界の内幕を描くことで映画愛を語ろうとした、『ブギーナイツ』(97)のポール・トーマス・アンダーソンと同趣のアプローチかもしれない。
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「リラックス」
映画批評サイトのロッテントマトには、こんな論評が掲載されている。
「ブライアン・デ・パルマの映画製作の腕前と偏愛的な趣味を示す『ボディ・ダブル』は、映画への淫らなラブレターである」(*3)
筆者も同感なり。『ボディ・ダブル』は、映画への感謝と、映画への愛に溢れた、“映画に関する映画”だ。下劣で、下品で、猥雑で、低俗な。サイコーではないか。
(*3)https://www.rottentomatoes.com/m/body_double
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images