開いてしまった傷口
『別れる決心』のヘジュンは、清潔感のある普通の男性のイメージを纏っている。ヘジュンには映画に出てくる刑事のようなタフな雰囲気はない。仕事中毒なヘジュンは、週末になると妻の住むイポに帰る週末婚の生活を送っている。ヘジュンは同僚と一緒に岩山の頂上に登っていく。岩山の上から落ちたソレの夫と同じ方法で経路を辿っていく。ヘリコプター等を使って事件現場へ向かうのではなく、手間と時間をかけて被害者のルートを辿っていくことをヘジュンは仕事上のポリシーとしている。ヘジュンは不眠症だ。張り込みのせいで眠れないのではなく、眠れないから張り込みをするのだという。普通の男性のイメージを纏いつつ、まったく普通ではないヘジュンというキャラクターを、パク・ヘイルは見事に演じている。
『別れる決心』© 2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED
ヘジュンは写真やスマホに残されたデータに執着する。自分の目や記憶よりも物的記録は確実な証拠となるものだからだろう。ヘジュンやソレのように複雑で多層的なイメージを、写真や音声データは持たない。ヘジュンはそう考えているのかもしれない。このゲームの中で、ソレは敢えて証拠を提供しているかのようだ。ヘジュンの生きがいを失わないために。二人は特殊なソウルメイトであり、お互いを補完する関係にある。しかしどの証拠もソレという女性に追いつくことはできない。彼女という未解決事件。ソレ=タン・ウェイという心の泥棒。
『別れる決心』は、いかに人の記憶、視覚が不確かであるかについての映画だ。そして人生において「解決」とはどのような状態を指すのかを考えさせる。いつの間にか解決したつもりになっていただけなのかもしれないと。忘れていたはずの傷口が思わぬ形で開いてしまったとき、私たちは最後に覚えている感覚へ向けて記憶を辿っていく。そしてヒリヒリと痛む古傷に対して、いつ別れの決心をしたのか思いを馳せるのだ。
*1 Hollywood Reporter [Making of‘Decision to Leave']
*2 Slant Magazine [Interview: Park Chan-wook on Duality and Dissonance in Decision to Leave]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『別れる決心』
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配給:ハピネットファントム・スタジオ
© 2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED