エイズの悲劇が目立つゲイ映画に光を灯す
主人公たちの旅と合わせるかのように、オーストラリア各地を巡っての撮影では、スタッフの多くが行く先々でエキストラとして出演するなど、自主映画のようなノリもあってチームの絆は深まっていった。監督のステファン・エリオットもホテルのドアマン役で顔を見せている。『プリシラ』はアカデミー賞衣裳デザイン賞に輝いたが、手作り感のある衣裳が話題となり、ビーチサンダルを繋げて作ったドレスが7ドルだったなど“創意工夫&手作り感”は、まさにドラァグクイーンのスピリットを表象していた。フェリシアが銀色の巨大な布を背負った衣装でバスの屋根に立つシーンは『プリシラ』のポスターにもなったが、本番で急に突風が吹き出し、銀色の布が美しく風にたなびくという、こうした奇跡の瞬間は、作り手たちの献身と愛の賜物だと信じたい。
一方で、必要な部分にはしっかり製作費をかけ、「プリシラ号」には5台のバスを用意。内装をほどこしたもの、半分だけラベンダー色に塗られたものなど、シーンごとに使い分けられている。また、ステファン・エリオット監督は本作の発案時の記憶をたどるように、セルジオ・レオーネの『ウエスタン』(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』/68)におけるワイドスクリーンのショットを参考にして、同作の冒頭などいくつかのシーンにオマージュを捧げており、映画的なこだわりも刻印されている。
『プリシラ』(c)Photofest / Getty Images
1980年代から、エイズはゲイコミュティの脅威となり、1990年代の前半にかけて『ロングタイム・コンパニオン』(90)、『野性の夜に』(92)、『フィラデルフィア』(93)といったエイズをテーマにした映画が多く作られ、ゲイ映画は悲劇性の濃厚な時代を迎えていた。舞台でも「エンジェルス・イン・アメリカ」(93〜94の2部作)という名作が生まれた。そんな暗澹とした時期に、『プリシラ』の放つ過剰な明るさと輝き、ポジティブな作風は、ゲイコミュニティに光を与えた。その光は、さらに多様な観客層へと広がり、後に舞台ミュージカル化される。
『プリシラ』の成功によって、ハリウッドでは早くも翌年の1996年に、パトリック・スウェイジ、ウェズリー・スナイプス、ジョン・レグイザモというスターを起用した『3人のエンジェル』を製作。しかし物語の基本はドラァグクイーンたちのロードムービーで、「完全なる二番煎じ」と酷評される。『プリシラ』の輝きは唯一無二であり、だからこそ今なお愛され続けているのだ。
文:斉藤博昭
1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。
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