アメリカとの距離
遺灰は旅を続ける。あるときは人々からの尊敬に包まれ、あるときは不謹慎な笑いを誘発させる。タヴィアーニ兄弟の映画には、不意に表出される残酷さがある。たとえばピランデッロの柩が火葬されるシーン。柩を炎に押し込む行為には、どこか非情さが感じられる。決して不自然に描かれているわけではないにも関わらず、柩が鉄の棒で押し込まれる瞬間にドキッとさせられてしまう。『遺灰は語る』に限らず、タヴィアーニ兄弟の作品には人間そのものへの愛というよりも、生命の成り行きに対する愛があるように思える。
その意味で、ピランデッロが死の前に書いたとされる「釘」が描かれた本作の第二部にあたるパートは、タヴィアーニ映画の真髄に迫っているといえる。『カオス・シチリア物語』の少年バスティアネッドが、ブルックリンの移民として登場する。第一部のアメリカ兵とのエピソードも然り、タヴィアーニ兄弟の映画にとってイタリアとアメリカの間に横たわる“距離”は、これまでに何度も繰り返されてきたテーマでもある。『サン★ロレンツォの夜』(82)の女性は、アメリカに連れて行ってほしいと兵士に懇願していた。『グッドモーニング・バビロン!』(87)の兄弟たちは、『イントレランス』(1916)の美術のためハリウッドへ向かった。
『遺灰は語る』© Umberto Montiroli
バスティアネッドの前を不意に通り過ぎる荷馬車には、ブルックリンではなく、まるでシチリア島からやって来たような超現実的な趣が感じられる。荷馬車が落とした「釘」。少年は「釘」を拾う。偶然にも少女たちが取っ組み合いのケンカをしている(獣同士の戦いのようで素晴らしい)。そして不可解な犯罪が起こる。果たしてこの「釘」はどのような旅を経て、どのような“定め”を持っていたというのだろうか?「釘」は「遺灰」と同じように何も語ってくれはしない。シチリアの青すぎる空やエメラルドグリーンの海がくれる美しさに答えはない。生きている者が美しさに意義を見つけ、名前を付けていく。
人生とは未完成のまま終わっていくものなのかもしれない。ピランデッロがノーベル文学賞を受賞する孤独な舞台から始まった本作は、舞台=映画として幕を下ろす。パオロ・タヴィアーニはピランデッロ、そして兄ヴィットリオの未完に終わった意志を引き継ぎ、次の物語に向かって颯爽と去って行く。未完成の遺言、レクイエムが未来のバトンとして渡される。本作がどこまでも観客を信用した映画であることに、感謝の気持ちで胸がいっぱいだ。
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『遺灰は語る』
2023年6月23日(金)より
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給:ムヴィオラ
© Umberto Montiroli