(c)1976 Faces Distribution Corporation.
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』フィルム・ノワールを纏った、疑似家族の物語 ※注!ネタバレ含みます。
2023.07.03
コズモ=カサヴェテス
コズモはオーナーとしてクラブを切り盛りする傍ら、舞台の演出、選曲、振り付け、司会まで全てをこなす。やってくる客の目的は、女性のストリップ・ショー。だが彼は自分の仕事に誇りを持ち、クレイジー・ホースというクラブをこよなく愛し、自ら手がける舞台をこよなく愛し、仲間たちをこよなく愛している。彼は、妻も子もいない天涯孤独の身だ。だが彼らの父親として振る舞うことで、精神的充足感を感じている。
忘れられない場面がある。意を決して暗殺に向かうコズモが、途中公衆電話に立ち寄って、ステージの様子をスタッフに確認するのだ。
「ネタはなんだ?パリのか?店に7年もいてネタがわからんだと?舞台に“パリ”って書いてないか?パリ・ネタの場合、壁にそう書いてある。お月さんの絵は?歌は?」
舞台ではどの演目が演じられているのか、演奏されている曲は何なのか、彼は気になって仕方がない。自分が殺されるかもしれない土壇場になっても、彼の関心は常にクレイジー・ホースにある。そしてカメラはいっさいステージを見せず、至近距離でコズモのクローズアップを捉え、彼の苛立ちを克明に刻んでいく。
長年の借金を払い終えたのをいいことに、いい気になってリムジンを借り、クラブのダンサーたちを従えて、意気揚々と賭博場に出かける場面も忘れ難い。もちろん彼の自尊心を満たすための行為なのだろうが、その一方で「ドレスアップして、ゴージャスな場所へと出かける体験」を彼女たちに味合わせたいという、コズモなりの親心のような気がしてならない。
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(c)1976 Faces Distribution Corporation.
負け続きで、またもや多額の借金をつくってしまうコズモ。このままではこのままではクレイジー・ホースを手放すしかない。危険であることを知りつつ、ギャングに言われるがままチャイニーズ・ブッキーの暗殺を決意したのは、何よりも自分たちの家を失いたくない、という一心だったのだろう。そして、それは他ならぬジョン・カサヴェテス自身の投影でもあった。
ベン・ギャザラは、当初コズモを演じることに不満を感じていたという。自分と役の接点を見出すことができなかったからだ。だがある日彼は、ジョン・カサヴェテスから「ギャングは、誰かの夢を盗んだり台無しにしようとする人々のメタファーだ」(*2)という話を聞かされる。そして、ベン・ギャザラは全てを理解する…コズモとは、映画の夢に向かって邁進するカサヴェテス自身であり、クレイジー・ホースとは、彼が手がける映画・芸術の象徴であり、マフィアとは、その夢を邪魔しようとする映画業界の一部の人間であることを。
カサヴェテスは、本作のプロデューサーを務めているアル・ルーバンを、高利貸しの一人として起用している。『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』が、極めて比喩的な作品であることの証左だろう。