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『ダンサー・イン・ザ・ダーク』アンチ・ミュージカル、アンチ・アメリカ ※注!ネタバレ含みます。

(c)Photofest / Getty Images

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』アンチ・ミュージカル、アンチ・アメリカ ※注!ネタバレ含みます。

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痛烈なアメリカ批判



「工場で働いていると、機会がいろんなリズムを刻み始める。すると夢の世界になって、音楽が始まるの」


 不当な差別、失明の危機、殺人罪での逮捕。あまりに無情な現実から逃避するように、セルマは夢の世界へと身を投じる。しかし筆者は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』をミュージカル映画と呼ぶには、大きなためらいを感じてしまう。心の高まりゆえに登場人物が歌い踊り出すのではなく、セルマが心の中で創り上げた妄想が、ミュージカルという形式をとって現出するからだ。


 むしろ『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、アンチ・ミュージカル映画として屹立しているようにさえ見える。それはすなわち、アンチ・アメリカ映画としても屹立しているということだ。共産主義者の両親の元に育った彼女にとって、超大国アメリカは資本主義の象徴に見えたことだろう。そしてテレビに映し出されたミュージカル映画に、まだ見ぬアメリカへの想いを馳せたことだろう。


 祖国チェコ・スロバキアから離れてアメリカにやってきた移民のセルマは、世界の警察を自認するアメリカそのものを具現化したような、警察官ビルの策謀によって窮地に陥れられる。演じるデヴィッド・モースは、『グリーンマイル』(99)や『コンタクト』(97)で、絵に描いたような善人を演じてきた俳優だ。そして、セルマに恋心を抱く優しきナイスガイのジェフを演じているのは、『ファーゴ』(96)で最低&最悪キャラを披露したピーター・ストーメア。これまでのフィルモグラフィーで演じてきた役柄を反転させて、トリアーはアメリカの偽善を暴き出す。



『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(c)Photofest / Getty Images


「最後の歌は聞きたくないわ。グランドフィナーレが始まって、カメラが上へと登る。それはラストの合図よ。そうなると、もうガッカリ。チェコにいた子供の頃、名案を思いついたの。最後から2曲目が終わったら、映画館を出てしまうの。そしたら映画は永遠に続くでしょ?」


 夢見る少女のように、ミュージカルへの想いを語るセルマ。絞首刑に処される直前まで、彼女の脳内には「最後から2番目の歌」が鳴り響いていた。しかし、永遠に続くと思われていた物語は、床板が落ちることで、突然糸を切ったようにプツリと幕を閉じる。


 今やアメリカではまだ死刑制度を存置している州があるが、ベラルーシを除いてヨーロッパでは撤廃され、欧州連合(EU)の加盟条件には死刑廃止が盛り込まれているほど。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、アメリカが大好きで大嫌いな映画監督ラース・フォン・トリアーによる、痛烈なアメリカ批判の物語。ミュージカルは、それを前傾化させる装置として存在している。




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