2023.07.20
「テロリストとの仕事」
デンマーク生まれの異能の映画監督と、アイスランド生まれの異能のアーティスト。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、ビョークという稀有の才能を主演に迎えることで、ラース・フォン・トリアーの才覚すら大きく超えるマジックが生まれた。もちろん彼女はそれまで演技などしたこともなく、主役のオファーには後ろ向きだった。彼女はあくまでサウンドトラックを担当する作曲家という立場だったが、トリアーは彼女がセルマを演じることにこだわり、説得に丸1年を要して出演に漕ぎ着けたのである。
「私は彼女をミュージック・ビデオで見ただけだった。でも彼女は私を魅了したし、今でも魅了し続けている。そうとしか言いようがない。彼女には少女のようなところがあるし、非常に賢い。彼女のような人とは仕事をしたことがなかったよ」(*2)
だが撮影中、二人の関係は最悪だった。ビョークは毎朝撮影前に「あなたを軽蔑します」と侮蔑の言葉をつぶやき唾を吐いていたと、ラース・フォン・トリアーは証言している。彼女が3日間も撮影現場に現れなかったために、重要なシーンの撮影が遅れたこともあった。当初はトリアー自身も、映画館でセルマとキャシーを叱責する観客として出演する予定だったが、ビョークに対して自制心を欠いてしまうことを恐れ、別の役者に任せている。彼曰く、彼女との仕事とは「テロリストとの仕事」だったのだ。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(c)Photofest / Getty Images
ビョークもまた、「この映画は私にとって、非常に興味深い冒険だった」(*3)とその意義を語る一方で、トリアーを“完全な狂信者”と呼んで批判している。
「私たちは、セルマの本当の姿について異なる考えを持っていた。私は彼女をもっと芸術的なキャラクターにしたかったけど、完全な狂信者であるラースは、自分を投影したキャラクター、特に女性に苦しんでほしかったの。私はそれを受け入れることができなかった。セルマは辛い人生を送ってきたし、想像力を働かせてファンタジーの世界に逃避した。(中略)そして彼はずっと、彼女にもっともっと恐ろしいことが起こることを望んでいて、最後にセルマは処刑されてしまう。それはあまりにも単純で、簡単すぎると思った」(*4)
共演したカトリーヌ・ドヌーヴとピーター・ストーメアは、彼女の演技は“芝居”ではなく“感情”だったと表現している。プロの俳優ではないビョークは、文字通り全身全霊を捧げてセルマという役を全うしたのだろう。映画という虚構の世界、しかもラース・フォン・トリアーという厄介な映画監督が用意した「悪意と欺瞞に包まれた世界」で、彼女は苦しみ続けたのだろう。
正直筆者は、トリアーの良い観客ではない。人間の偽善を暴き出す露悪的な演出に、毎回頭がクラクラしてしまう。だが、この映画だけは別だ。ビョークというアーティストが内包する無垢さ、悪意に対する必死の抵抗が、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を特別な一本にせしめている。きっとそれは、究極的な意味で二人がコラボレーションを果たしたからだろう。
(*1) https://www.youtube.com/watch?v=EzZHFVxs5HA
(*2) https://www.indiewire.com/features/general/interview-lars-von-trier-comes-out-of-the-dark-81384/
(*3)(*4) https://www.bjork.fr/article1140
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images