2023.07.26
違うこと、同じこと
172分という長尺の上映時間は、しかし50年以上の年月を描くには足りない。カイコーは蝶衣と小樓の物語に焦点を絞り、その旅を描ききったが、そこではいくつかの社会・時代背景やエピソードを割愛せざるを得なかった。原作小説を参照すると、そこには映画で描かれていない社会の緊迫した空気や、人々の喜びと逡巡の日々が文字によって十分に表現されている。
もうひとつ、原作と映画には大きな違いがある。映画は文化大革命のさなか、蝶衣と小樓がお互いを批判するよう要求されたのち、“すべてが終わったあと”にあたる映画冒頭のシーンまで時代が飛ぶが、原作ではその後の時代がわずかに描かれるのだ。小樓は北京を追放され、肉体労働者として貧しい生活を送り、のちに香港へ渡る。そこは文化大革命の恐怖を味わっていない、北京とはまったく別の歴史を歩んだ土地だ。
原作小説を読むと、『さらば、わが愛/覇王別姫』が――ある意味ではラブストーリーでさえなく――カイコーが糾弾した父親の世代についての物語であることがよくわかる。一時は隆盛の恩恵にあずかったものの、戦争や占領の恐怖にさらされた時代を生き、のちに文化大革命の苦しみを背負い、そのまま静かに年老いていく小樓の姿を、もしかするとカイコーは描くことができなかったのかもしれない。最後に蝶衣と小樓を待つ結末も、映画と原作ではまったく異なっている。
『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.
しかしカイコーは、その原作から“社会と芸術の関係”を丁寧に移植してもいる。1937年の盧溝橋事件前夜(すなわち日中戦争直前である)、民衆の間に抗日感情が高まるさなか、人々が蝶衣と小樓に「非常時に芝居なんか。愛国心はないの?」と詰め寄るのだ。その後も芝居と役者は、時代の節目ごとに政治に振り回され、それは文化大革命に至るまで変わらない。その理不尽と苦悩、それでも生きていく力強さもまた、おそらくカイコー自身のパーソナルな一面の反映ではないか。
そして、2023年に本作を観ると、「非常時に芝居なんか」というフレーズがまた別のリアリティをもつことにも気付かされる。それは、新型コロナウイルス禍で劇場の閉鎖や活動の自粛を要求された演劇界にぶつけられた言葉とまったく同じものだからだ。正しい表現と悪しき表現が選別され、書き換えられてさえいる現在の状況にまで目配せするなら、文化をめぐる状況が大きな意味で反復されていることを、筆者はこの映画を通じて再認識せざるを得ないのである。
[参考文献・参考資料]
・『さらば、わが愛/覇王別姫』ブルーレイ(TCエンタテインメント)
・李碧華=著、田中昌太郎=訳『さらば、わが愛/覇王別姫』(早川書房)
・An Interview With Chen Kaige [Internet Archive]
文:稲垣貴俊
ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。
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『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』
7/28(金)角川シネマ有楽町、109シネマズプレミアム新宿、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次上映!
配給:KADOKAWA
©1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.