“闇の使者”ブルーノ
物語をどのように“描くか”。ヒッチコックはチャンドラーを激怒させてまで、映像としての愉悦にこだわった。彼は骨の髄まで、シネマティックなアーティストなのである。『見知らぬ乗客』もまた、デザイン的とも言える蠱惑的ショットに溢れている。
例えば、ブルーノがガイの妻ミリアム(ケイシー・ロジャース)を絞殺するシーン。眼鏡越しに映し出された二人は、分厚いレンズで極端に歪んでいる。宇宙をたゆたうように、ゆっくりと体を沈めていくミリアム。検察官のように、その死を確かめるブルーノ。凄惨な場面であるはずなのに、どこか妖しい色香をまとっている。ヒッチコックにとって殺人とは、官能的で艶かしいものなのだ。
もしくは神殿のような巨大建造物を背に、遥か遠くからブルーノがガイを見つめているショット。極端なロングショットのため顔を判別することもできないが、その黒いハットとコートと言う出で立ちから、我々は彼がブルーノであることを察知する。いや、そのメフィストフェレス的な、サタニックな雰囲気が、ブルーノであることを我々に直感させる、と言った方がいいかもしれない。ヒッチコックはこの映画で、徹底的にブルーノを“闇の使者”として描き出す。
それは、燦々とした太陽の下でテニスをするガイに対し、下水に落ちたライターを拾おうと暗闇のなか格闘するブルーノをカットバックさせるシーンにも顕著だ。陰と陽。光と影。ドッペルゲンガーが招き寄せる悪夢を、ヒッチコックはテクニックを総結集させて描いてみせる。
『見知らぬ乗客』(c)Photofest / Getty Images
ブルーノを演じたロバート・ウォーカーにとって、『見知らぬ乗客』は最後の映画となった。撮影終了8ヵ月後に、アルコール依存症の治療薬によるアレルギー反応で亡くなってしまったからだ。彼との仕事を心から楽しみ、本作をお気に入りの作品と公言しているファーリー・グレンジャーは、ウォーカーの急逝に激しく動揺したと言う。
ロバート・ウォーカーは強烈なナイトメアを観る者に焼き付けて、猛烈なスピードで過ぎ去って行った。彼がヒッチコック映画史上最も魅力的な悪役である理由は、ガイのドッペルゲンガーということだけではない。“黒い部分”、“暗い部分”が乗り移ったもう一人のロバート・ウォーカーを、鑑賞者である我々が発見してしまったからだ。不吉の象徴であるドッペルゲンガーを、彼のなかに見出してしまったからだ。少なくとも、筆者はそんな風に思っている。
(*1)、(*2)『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社
(*3)https://www.openculture.com/2013/08/raymond-chandler-denounces-hitchcocks-strangers-on-a-train.html
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images