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『見知らぬ乗客』ドッペルゲンガーが招き寄せる悪夢

(c)Photofest / Getty Images

『見知らぬ乗客』ドッペルゲンガーが招き寄せる悪夢

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物語をどのように“描くか”、どのように“語るか”



 「『見知らぬ乗客』はあてがわれた企画ではなく、わたし自身がえらんだ主題だ。これならいけると思った題材だった」(*1)


 とヒッチコックは語っている。『山羊座のもとに』(49)、『舞台恐怖症』(50)の興行的失敗を受けて、彼はより純粋なスリラーに原点回帰し、サスペンスの巨匠としての名声を取り戻そうとした。巨匠曰く、<確実な地点に戻ってやり直す(run for cover)>が流儀なのである。その目論見は、見事成功。53本に及ぶヒッチコックのフィルモグラフィーのなかでも、『見知らぬ乗客』は傑作の一つとして認知されている。


 本作の脚本家として招聘されたのは、レイモンド・チャンドラー。そう、「大いなる眠り」や「長いお別れ」など、私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする作品を世に送り出した、伝説のハードボイルド作家その人である。だが経済的に苦しかったこともあり、キャリア初期は小説の執筆と並行して脚本の仕事もこなしていた( ビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』(44)、ジョージ・マーシャル監督の『青い戦慄』(46)など)。チャンドラーは『見知らぬ乗客』原作を「くだらない小話」だと考えていたが、金銭的理由によって仕事を引き受けたのである。



『見知らぬ乗客』(c)Photofest / Getty Images


 得てして、優れた芸術家というものは両雄並び立たないもの。ヒッチコックとチャンドラーの関係も、決して良好ではなかった。いや、むしろ最悪と呼んだ方が正確かもしれない。それは、二人の資質の違いが如実に表れたゆえの対立だった。ヒッチコックは生粋の視覚芸術家として、物語をどのように“描くか”にこだわった。別々のタクシーから降りた二人の男の足元をカットバックしながらクローズアップで追いかけ、二つの靴が交錯するまでを描いた一連のショットは、映画ならではのシンボリックな表現と言える。


 一方チャンドラーは生粋のノベリストとして、物語をどのように“語るか”にこだわった。キャラクターを深く掘り下げ、その性格や動機を観客に提示することの方が大切だと考えていたのだ。当然のごとく、二人の意見は平行線。もはや決裂は時間の問題だった。





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