レイモンド・チャンドラーとの対立
ヒッチコックはフランソワ・トリュフォーとの対談の中で、レイモンド・チャンドラーへの不満を思いっきりぶちまけている。
「わたしと同じようにミステリーやスリラーやサスペンスを専門とするライターといっしょに仕事をすると、おたがいにぶつかりあって、うまくいかないということだ。(中略)わたしはいつもシナリオライターといっしょにやるように、チャンドラーのかたわらにすわって、何かいいアイデアはないものかと頭をひねって、“たとえばこんなふうにしたらどうだろう”と言うと、彼の答は“なんだい、あんたひとりでそんなふうにうまく考えられるんなら、わたしなんかいらんだろう”といった調子だった」
『見知らぬ乗客』(c)Photofest / Getty Images
長時間とりとめのない会話をしながら、映画のヒントを探っていくようなブレスト形式がヒッチコック流だったが、チャンドラーはそのやり方も気に食わず、あからさまに喧嘩腰の態度を見せたこともあった。そしてチャンドラーも積もりに積もった不満を書き連ね、ヒッチコック宛にこんな手紙を送っている。
「こんなシーンが長すぎるとか、こんなメカニズムがぎこちなさすぎるとか、あなたが私の脚本にあれこれ難癖をつけるのは理解できる。なぜなら、そのような変更のいくつかは、外部から押し付けられたものかもしれないからだ。私が理解できないのは、せっかく生命力と活力があった脚本を、陳腐な決まり文句と無表情な登場人物たち、そして脚本家なら誰もが書いてはいけないと教わるような台詞のかたまり…つまり、あらゆることを二度言い、俳優やカメラが暗示するものは何も残さないような台詞のかたまりにしてしまったことだ。クレジットの中に自分の名前が表示されようがされまいが、私は恐れない」(*3)
最終的にヒッチコックはチャンドラーと袂を分かち、『白い恐怖』(45)や『汚名』(46)で知られる脚本家ベン・ヘクトのアシスタントだった、チェンツイ・オルモンドと共にシナリオを開発。チャンドラーの名前がクレジットから外されることはなかったが、結局彼にとって『見知らぬ乗客』が最後の脚本作品となった。