原作とは異なる大胆な脚色
映画の原作はウォルター・テヴィスの原作“The Color of Money”(84年刊)で50代になったエディが主人公。原作ではエディはプールバーの経営者となっていて、運命の宿敵、ミネソタ・ファッツとの再会も描かれる。
スコセッシがかかわった時、すでに原作に忠実な脚本が完成していたそうだが、スコセッシはエディ像に物足りなさを感じた。「彼は原作のラストで脅迫されるけれど、怖気づいてその後、何もしないヤワな男じゃない。彼はガッツがあるハスラーだ」(「スコセッシ・オン・スコセッシ」フィルムアート社刊、デイヴィッド・トンプソン&イアン・クリスティ著、宮本高晴訳)
そう考えた監督は前作の卑劣なプロモーター、バートを思わせる卑劣な人物像にエディを変えた。脚色を担当したのは『ワンダラーズ』(79)の小説家、リチャード・プライス。彼はニューマンを知るために1年近くかけたという。スコセッシはふり返る。「気を引きしめて、9カ月で脚本を仕上げることにし、その過程で映画をポール向きに形を整えていくことにした。スターが主役の映画だということを意識してね」(「スコセッシはこうして映画を作ってきた」、文藝春秋刊、メアリー・パット・ケリー著、齋藤敦子訳)
『ハスラー2』(c)Photofest / Getty Images
こうして『ハスラー2』の製作が始まる。映画では原作にない若いハスラーのヴィンセント(トム・クルーズ)が登場し、エディが彼のプロモーターとなってゲームのルールを伝授する。「彼は若者を自分の保護下に置き、旅を続ける中ですべてを教え込む。そして、その過程で彼は自分自身と折り合いをつけなければいけなくなる。男として、彼は死んだままでいるのか、それとも、もう一度息を吹き返せるのか?」(『スコセッシはこうして映画を作ってきた』)
ヴィンセントとの旅によってエディは新たな自分を発見する。ニューマン自身はこの映画についてこう語っている。「『ハスラー2』は、自分のすぐれた才能の復活についての映画だ。彼は他人の中に同じ才能を発見する。(そこで)エディは自分自身を再教育し、才能を復活させるんだ」(『スコセッシはこうして映画を作ってきた』)
ハスラーの世界の裏も表も知りぬいた中年のエディと、ガッツだけはあるが自分の力をコントロールできない若いヴィンセント。旅を通じてふたりの距離は縮まるが、やがてはコンビを解消し、最後はライバル関係となる。ひとりになったエディは、自身の年を意識しつつも、再度ゲームへの意欲を取り戻し、後半に登場するアトランティック・シティの大会でヴィンセントと対決することになる。
『ハスラー』の時はガッツが売りだったエディ役のニューマンは、この続編では渋さと優雅さが加わり、(今でいう)「イケおじ」ぶりを発揮。一方、クルーズ演じるヴィンセントは、最初は素朴なところも残しているが、才能にめざめてからは(ぞっとするような)悪魔的な顔も見せる。鋭いカミソリみたいなクルーズの演技が、渋いニューマンと好対照をなしていく。
そして、いま、見直すとニューマンvsクルーズの図がさらに興味深いものに思える。この役に抜擢された時のクルーズは『トップガン』(86)も公開されておらず、どこか未知数だったが、『ハスラー2』と同じ年に上映された『トップガン』を経て大物スターに成長。60年代以降のハリウッドを背負ってきたニューマンから80年代以降のクルーズへ。そんな新旧スターの対決作品としても興味深い(もっとも、製作中ふたりは良好な関係だったという)。
ニューマンはこの映画でオスカー候補7回目にして、やっと主演男優賞を手にした。「究極のスター映画」の監督に徹したスコセッシの職人技が生きた作品となり、その成功のおかげで、暗礁に乗り上げていた『最後の誘惑』(88)の製作も実現することになる。また、日本でもこの映画の人気でプールバーが一気に増え、女性層も巻き込みビリヤード・ブームが盛り上がった。