私情に流されない復讐譚
デヴィッド・フィンチャーは細かなディテールにまでこだわり抜く、一切の妥協を許さない完璧主義者として知れ渡っている。長い時間をかけてじっくりと準備を行い、完璧な構図と完璧な照明によってルックを制御し、役者には延々とリテイクを重ねることもいとわない。『ゾディアック』(07)に出演したジェイク・ギレンホールは、その執拗な演出ぶりに閉口し、再び彼と仕事することを拒否したという話も漏れ伝わってくるほど。
暗殺者が唱える「計画通りにやれ、予測しろ、即興はするな」というマントラは、おそらくデヴィッド・フィンチャーの仕事の流儀そのもの。その信条が、<冗長とも思えるプロセスを、丁寧すぎるくらいに丁寧に描く>という彼のスタイルに直結する。『セブン』、『ゾディアック』、『ドラゴン・タトゥーの女』(11)と同系列のスリラー映画として語られるであろう『ザ・キラー』は、むしろプロセス至上主義という意味では、アメリカ大統領の座を狙う下院議員の野望を描いたTVドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」(13〜18)に近いのではないか。
Netflix映画『ザ・キラー』11月10日(金)より独占配信
興味深いのは、この映画は単なる復讐映画のフォーマットに則っていないことだ。慎重に慎重を期したはずの暗殺ミッションに失敗し、彼の居場所を聞き出そうと恋人が“組織”によって暴力をふるわれたことから、暗殺者は報復の旅に出る。確かにそのストーリーラインだけを追えば、子犬の命を奪ったロシアン・マフィアを殲滅させる『ジョン・ウィック』(14)、もしくは気にかけていた少女を窮地から救おうとする『イコライザー』(14)と同じような復讐譚だ。
だが最後で明かされるのは、それは単なる復讐ではなく、新たなクライアントを獲得するまでの深慮遠謀でもあったということ。最後のターゲットは殺人の標的ではなく、莫大な富を持つ顧客との交渉と考えるべきだろう。これぞ、暗殺者を自分に重ね合わせたフィンチャー流仕事論。失敗を糧にして(フィンチャーにとって何が“失敗”だったのかは、敢えてこの稿では触れないが)、ハリウッドきってのフィルムメーカーに上り詰めた彼の“プロフェッショナルとしての矜持”が、このフィルムには刻まれている。
(*2)https://www.gq-magazine.co.uk/article/david-fincher-interview
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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