2023.11.08
演技に終わりはない
『サタデー・フィクション』の原題『蘭心大劇院』は、ロウ・イエの両親が働いていた劇場の名であり、映画は演劇のリハーサルシーンから始まる。ロウ・イエは舞台の外側からカメラを構えるのではなく、稽古中の俳優たちに向かって飛び込んでいくように、中へ中へとカメラを潜り込ませる。演出家のタン・ナー(マーク・チャオ)に密着するカメラによって、舞台を演出する姿と彼の実人生の境界が早速曖昧になっていく。カフェにおける生演奏、踊り始めるダンサーたち。このとき暗転する照明がまた素晴らしい。演技が始まるオンの合図のようであり、しかし俳優たちのオンとオフの間には明確な線が引かれていないようにも見える。これらのシーンには、ロウ・イエが子供時代に見たバックステージの光景が強く反映されているという。
租界地域における戦場のような劇場シーン。物語は時系列に沿って直線的に進んでいくが、それでも本作が複雑な構成に見えるのは、登場人物の演技と実人生の間の境界が意図的に曖昧にされ、まるで終わりのないパフォーマンスをしているように見えるからだろう。演技に終わりはない。ユー・ジンに託されたスパイ活動という任務が更に事を複雑にしている。ロウ・イエには『二重生活』(12)という邦題の作品があるが、まさに本作には“二重生活”が描かれている。そして本作が感動的なのは、ユー・ジンが最も危険にさらされているときに最も親密な瞬間が生まれていることだろう。ユー・ジンと古谷(オダギリジョー)の並びには、どこかメロドラマ的な感動がある。
『サタデー・フィクション』©YINGFILMS
ユー・ジンはミステリアスで圧倒的なカリスマ性がある女性だ。古谷は亡き妻にとてもよく似たユー・ジンに魅せられていく。ゴーストとしての“妻”の存在に古谷は惑わされていく。しかしユー・ジンが、意識が朦朧としている古谷から暗号の意味を聞き出そうとするシーンでは、二人の顔が近づいていくたびに、むしろ古谷の亡き妻を演じるユー・ジンの方が激しく心を搔き乱されているように見える。パフォーマンスが揺らぐ瞬間。手持ちカメラを駆使して現代的なルックを持つロウ・イエの映画が、不意に古典映画のメロドラマ的ルックに変貌を遂げる美しいシーンだ。このシーンを見るだけでも本作の価値はある。