カウリスマキ・ユニバース
ホラッパとアンサが初めてカフェで向かい合うシーンはほんの少しの沈黙から始まる。二人がカフェに入っていくシーンや、椅子に座ってどんな話をしたかは省略されている。しかし画面で示される以前の時間においても、二人の間を沈黙が支配していたであろうことは容易に推測ができる。二人の間には互いの沈黙を許容する準備が既にできているようだ。
『枯れ葉』における食事のシーンはとめどなく美しい。ここでは食器の音すらヘルシンキという都市の交響楽を奏でる楽器のように響き始める。アンサの乗る路面電車のシーンに最上のメロドラマ的な音楽が重ねられるのと、まったく同じレベルの響きがある。日本版のメインビジュアルにもなっている二人が向かい合う食事シーンには、もはや崇高さすら感じる。揺るぎないフレーミング。そしてここにはどんな言葉を重ねることよりも美しい営み、ジェスチャーがある。
『枯れ葉』© Sputnik Photo: Malla Hukkanen
アキ・カウリスマキの映画における沈黙は、ときに“フィンランド的”と評されることがある。しかしアキ・カウリスマキの映画自体はアウトサイダー的であり、むしろ属性を予め無効化している。タイプライターのよく似合うヴィンテージな部屋空間は、登場人物たちが生きている時代を特定させない。本作においてもアンサは職を探すために、スマホや自宅のPCではなくネットカフェを利用している。
もっとも興味深いのはカフェやバーにつけられた名前だ。「ブエノスアイレス」や「カリフォルニア」といった、遠く離れた異国の土地の名前がつけられている。一つの町の中に“世界地図”がある。ここではない何処かが町の中にある。本作のキャラクターたちは、いわば“カウリスマキ・ユニバース”とでも形容したくなるような世界で暮らしている。アメリカ映画のアウトサイダーであるジム・ジャームッシュ監督と、ウインクを交わしあうスピリットがここにある。