『ひなぎく』あらすじ
マリエ1とマリエ2は、姉妹と偽り、男たちを騙しては食事をおごらせ、嘘泣きの後、笑いながら逃げ出す。部屋の中で、牛乳風呂を沸かし、紙を燃やし、ソーセージをあぶって食べる。グラビアを切り抜き、ベッドのシーツを切り、ついにはお互いの身体をちょん切り始め、画面全体がコマ切れになる。
Index
破壊と破壊と創造と
「天使!でも飛んでない」
世界が堕落しているなら、私たちも堕落しよう。『ひなぎく』(66)は空前絶後の傑作少女映画だ。これほど奔放な想像力で反抗と破壊を描いたパンク映画を他に知らない。少女映画とひとまず言ってみたものの、“マリエ”を名乗る二人の女性はさっそく少女ですらないのかもしれない。なぜなら二人は“人形”を自称しているのだから。『ひなぎく』の永遠の新しさはここにある。二人は母でも妻でも娘でもない。敢えて言うならば女性の姿形を纏った化身だ。彼女たちには過去がない(もしかすると未来もない!)。ひたすら破壊的な遊びに興じる現在だけがある。二人のマリエによる破壊活動は、あらゆる“生産性”に対する反逆のカーニバルだ。二人は社会的な幸福の規範や男性優位の権力を嘲笑う。しかも二人の破壊活動は否定的な感情よりも、むしろ喜びの瞬間に溢れている。無邪気で手に負えない最高のマリオネットたち!
本作は当時のチェコスロバキア共和国で上映禁止処分を受けている。特にテーブルの上に並べられた料理をハイヒールで踏み潰していくシーンが、反社会的な行為と認定されてしまう。しかし本作が社会を揺るがすほど危険な映画だと認識されたことは、リアルタイムで二人の破壊活動を好意的に受け止めたオーディエンスの熱狂がいかに正しかったかを証明しているともいえる。
『ひなぎく』予告
エスタブリッシュメントなパーティーに参加したマリエたちは、テーブル席で悪ふざけの限りを尽くしていく。パーティーの主役は歌とダンスが披露されるステージから、ついにパーティーを破壊するマリエたちに移っていく。二人のショー・タイム!このとき二人のマリエに向けられた声援とブーイングの音声が交互に重ねられる。オーディエンスからの声援とブーイング。まるで本作の運命を予見していたかのような音声による演出は、ヴェラ・ヒティロヴァー監督の唱える“破壊と創造は表裏一体”というテーマと確実に響き合っている。飛べない天使。ブロンドと黒髪の二人の少女がお互いに“マリエ”を名乗るように、『ひなぎく』という作品には常に二つの要素が奇跡的に融合、または衝突している。