2023.12.21
小津映画の残響と相違
本作の企画は、UNIQLO(ユニクロ)やGU(ジーユー)を傘下にもつファーストリテイリングの取締役・柳井康治が、THE TOKYO TOILETというプロジェクトを発案したことに始まる。これは、世界に誇る“おもてなし”文化の一環として、渋谷区の公共トイレをリ・デザインし、社会の意識変容を目指した取り組みだった。安藤忠雄、伊東豊雄、片山正通、隈研吾、佐藤可士和、マーク・ニューソンといった建築家やクリエイターが参加し、全17カ所のトイレが個性豊かに生まれ変わる。
JR東日本「行くぜ、東北」などで知られる電通のクリエイティブ・ディレクター高崎卓馬も、このプロジェクトに関わる一人だった。彼は「せっかくなら映像作品として残せないか」と提案。短編映画として企画が練られ、その監督としてヴィム・ヴェンダースの名前が挙がる。2人とも彼の映画の大ファンだったのだ。断られること覚悟でヴェンダースに手紙を書いたところ、巨匠はその申し出を快諾。かくして世界的映画監督が、新しくプロジェクトに名前を連ねることとなる。
親日家のヴィム・ヴェンダースは、1977年の初来日以来、何度も東京を訪れていた。小津安二郎を敬愛するあまり、1983年当時の東京の様子をカメラに収め、『東京物語』(53)に出演した笠智衆や撮影監督の厚田雄春にインタビューを敢行した、『東京画』(85)というドキュメンタリー映画も発表している。「20世紀になお“聖”が存在するなら、もし映画の聖地があるならば、日本の監督・小津安二郎の作品こそふさわしい」と自らナレーションで語るほどに、ヴェンダースにとって小津安二郎は特別な映画作家であり、東京は特別な場所だった。
『PERFECT DAYS』ⓒ 2023 MASTER MIND Ltd.
来日したヴェンダースはロケハンを重ねていくうちに、短編ではなく長編映画として制作することを決意。高崎と共同でシナリオ開発にあたり、ミニマルな物語を創り上げていく。数々の小津映画の舞台となった東京という磁場が、彼に旺盛な創作意欲を与えたのだろう。主人公を平山という名前にしたことにも、それは顕著だ。小津安二郎監督の『東京物語』、そして遺作となった『秋刀魚の味』(62)で笠智衆が演じる役名も、平山。小津映画の残響が見て取れる。
だが不思議なことにーー少なくとも表面的にはーー小津映画と『PERFECT DAYS』の間にはほとんど共通項は見当たらない。会話に次ぐ会話でリズムを形作っていく小津作品に比べて、『PERFECT DAYS』の平山は寡黙キャラのため、特に序盤はサイレント映画のような趣きでストーリーが紡がれていく。小津安二郎が家庭の緩慢な崩壊とアイデンティティーの喪失を描いてきたのに対し、ヴェンダースは家族そのものを映画から排除し、平山に強固なアイデンティティーを付与する。
これは筆者の想像だが、ヴェンダースは小津映画が描いてきた物語の、その先を語ろうとしたのではないか。『東京物語』にせよ『秋刀魚の味』にせよ、ラストシーンに映し出されるのは、妻や娘がいなくなった誰もいない家に、ただ独り残される初老の男。小津の遺作から60年経って制作されたこの映画では、昭和的家庭像からアイデンティティーを取り戻した中年の男が、自由を得て、人生を謳歌する。老いと孤独の絶望ではなく、新しい人生への希望。だからこそ『PERFECT DAYS』は、圧倒的なまでに瑞々しいのだ。