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『グロリア』映画自体がひとつのジャンル。あの黒澤明も絶賛を惜しまず

(c)Photofest / Getty Images

『グロリア』映画自体がひとつのジャンル。あの黒澤明も絶賛を惜しまず

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カサヴェテス作品としては異例の観やすさ



 『グロリア』は1980年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。ジーナ・ローランズがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた、ジョン・カサヴェテス監督の代表作のひとつ。ただしカサヴェテスの作品としては、かなり異色の部類に入る。


 アカデミー賞助演男優賞候補になった『特攻大作戦』(67)や、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)など数々の作品で俳優として活躍し、『アメリカの影』(59)から12本の長編映画で監督を務めたジョン・カサヴェテスは、俳優としてというより、監督として後の世代に多大な影響を与えており、俳優とのワークショップから映画を作った『アメリカの影』のように、即興の演技も重視するスタイルなどは、日本の濱口竜介監督の作品にも色濃く受け継がれている。


 カサヴェテスの映画の多くは、俳優の演技だけでなく、極端なクローズアップやぶれるフォーカス、あえて逆光の照明、さらに唐突な編集に至るまで、従来の映画の法則をあえて無視したような演出が目につく。そのスタイルが映画の展開ともシンクロするのが『オープニング・ナイト』(77)で、主人公の舞台女優が劇作家や演出家を無視して、本番中に自分でセリフを変え、共演者とともに即興の舞台に変えてしまうドラマは、まさにカサヴェテス映画を体現したと見てとれる。



『グロリア』(c)Photofest / Getty Images


 こうしたカサヴェテスの演出スタイルは、俳優にとっては様々なチャレンジが可能となることで、ピーター・フォーク、ベン・ギャザラ、シーモア・カッセルといった個性派俳優が喜んで出演し、いわゆる“カサヴェテス一家”を形成。1989年にカサヴェテスが亡くなった後も彼らの友情は続いたようで、2000年頃だったか、筆者もLAのレストランでローランズ、フォーク、ギャザラらが楽しそうに食事をしている姿を目撃している。


 このように映画を“破壊する”側面もあるカサヴェテス映画は、観る人によってヘビーな違和感をもたらすが、『グロリア』は意外なまでに“観やすい”作りなのである。カサヴェテスは自分で脚本を書いておきながら、『グロリア』をあまり好きではないと語っており、自身の方向性と異なるゆえに、一般的に愛されたという皮肉な結果にもなった。『グロリア』はカサヴェテス作品で最も興行的にも成功している。


 意外なのは、この『グロリア』を日本の巨匠、黒澤明が大絶賛していること。やや長いが、彼の言葉を引用する。


“二十年前、私は巴里のシネマテークで『アメリカの影』と云う映画を見ました。

その時、試写室には、その映画の作者の青年も居ましたが、私が作品の素晴らしさに感激し、その作者の青年と話したい、と云ったところ、その青年は、一目散に廊下を逃げて行ってしまいました。

それから二十年、『グロリア』の作者が、あの『アメリカの影』の作者だと知った時、私は思わず手を叩いて、飛び上る程、嬉しくなりました。

(中略)

アメリカの影』の、みずみずしい映画感覚は『グロリア』にも流れています。この映画の流れの美しさは、生れつきのものだと思います。

私はこれ迄、試写室ですぐれた映画を見て感動した事は沢山あります。しかし『グロリア』を見た試写室の感動は、それとは違う特別なものでした。

それは、二十年前のシネマテークの試写室の感動と遠く離れて、しかもなほ、強くむすびついたものだったからです。”(「サンケイ新聞」1981年2月26日夕刊)


 作家性の強い処女作の『アメリカの影』と、エンタメ的な側面も強い『グロリア』に同じ感覚を発見するあたりが、“映画の神様”と言われる黒澤明監督らしい。





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