『007 スカイフォール』との相似
この稿を書くにあたって『ミュンヘン』を見直した筆者は、ある映画との相似に気が付いた。ジェームズ・ボンド・シリーズの23作目にあたる、『007 スカイフォール』(12)だ。6代目ジェームズ・ボンドを襲名したダニエル・クレイグが、アヴナーの仲間スティーヴ役で出演している、という単純な理由ではない(ちなみに、『007/慰めの報酬』(08)で敵役を演じていたマチュー・アマルリックも、情報屋のルイ役で出演している)。映画の構造の中心に“母性”があるという意味で、両作品には共通点が見出せるのだ。
映画の序盤、列車の上でジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が敵と格闘していると、MI6部長・M(ジュデイ・デンチ)の命令によってエージェントのイヴ(ナオミ・ハリス)が発砲。被弾したボンドは峡谷へと落下してしまう。地獄の底から帰還したボンドは、やがてMに裏切られた過去を持つ元MI6エージェントのシルヴァ(ハビエル・バルデム)に遭遇。M=MOTHER(母親)に見捨てられた息子たちが、死力を尽くして対決する。『007 スカイフォール』は、“父殺し”ならぬ“母殺し”の物語。MI6のトップに君臨する“母”に尽くすことは、国家に尽くすことと同義であるから、“母なる国家”をめぐる戦いとも言える。
『ミュンヘン』(c)Photofest / Getty Images
一方の『ミュンヘン』においても、イスラエルとはーーアヴナーの妻が夫に囁くようにーー“母なる国家”である。その“母”に殉じるべく、彼は命を賭してミッションに参画する。映画にはアヴナーの母親も登場するが、彼女はまるで『007』のMのような振る舞いで、息子に国家に忠誠を誓うことは意義深いことだと語る。
「人々は国を望んで死んでいったわ。私たちは自分たちの力で国を勝ち取った」
「母さん、知りたいかい?僕がしたことを」
「いいえ。どんな犠牲であれ、それだけの価値がある。この地上の場所、私たちはそれを手に入れた」
しかし、アヴナーは母なる国家に対して、自分を産んだ母親に対して、忠実な息子であることに限界を感じ始める。偉大なる“母”に向けられる懐疑的な眼差しが、そこにはある。スティーヴン・スピルバーグが、元々ジェームズ・ボンドの大ファンであることはよく知られているが、『ミュンヘン』の7年後に製作された『007 スカイフォール』と“母性”という主題で共振することで、偶然にも彼はボンド映画との接続を果たしたのだ。
この稿を書いている2023年12月25日時点で、イスラエルとハマスとの武力衝突は解決に至っていない。スピルバーグは、自ら設立したショア財団を通じて「私が生きている間に、ユダヤ人に対するこのような言いようのない蛮行を目にするとは想像もしていませんでした」(*9)というコメントを発表。ガザ地区への攻撃で多数の民間人が犠牲となり、国際社会でイスラエルへの批判が高まっているタイミングだったことから、イスラエル寄りに捉えられるスピルバーグの発言にも否定的な意見が集中した。
筆者は、スピルバーグの真意について語る立場にはない。それについて論考しようとも思わない。ただ最後に、彼がどのような想いで『ミュンヘン』を作ったのか、そのコメントを引用してこの稿を終えようと思う。
「私にとってこの映画は、平和への祈りでもある。この映画を作りながら、いつもそのことを考えていた。強硬的な姿勢のどこかに、平和への祈りがあるはずだ。なぜなら最大の敵は、パレスチナ人でもイスラエル人でもないからだ」(*10)
(*3)https://www.today.com/popculture/israels-ex-spies-question-munich-details-wbna10626324
(*4)https://slate.com/news-and-politics/2005/12/separating-truth-from-fiction-in-spielberg-s-munich.html
(*8)、(*10)https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,1137684,00.html
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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