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『ミュンヘン』母なる国家に対するスピルバーグの眼差し

(c)Photofest / Getty Images

『ミュンヘン』母なる国家に対するスピルバーグの眼差し

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『ミュンヘン』あらすじ

1972年9月5日未明、ミュンヘン・オリンピック開催中、武装したパレスチナのテロリスト集団“黒い九月”がイスラエルの選手村を襲撃した。結果的に、人質となったイスラエル選手団11名全員が命を奪われてしまう。これを受けてイスラエル政府は犠牲者数と同じ11名のパレスチナ幹部の暗殺を決定する。そして秘密裏に組織したのは、諜報機関“モサド”の精鋭5人による暗殺チームだった。メンバーは、チームのリーダーに抜擢されたアヴナー、車輌のスペシャリスト、スティーヴ、後処理専門のカール、爆弾製造のロバート、文書偽造を務めるハンス。4人の仲間と共に、アヴナーはヨーロッパ中に点在するターゲットを追い、冷酷な任務の遂行にあたる。しかし任務は上手くいかず、彼らは次第に追いつめられていく。


Index


モサドによる凄惨な復讐譚



 おそらく、スティーヴン・スピルバーグが手がけてきた作品のなかで、最も物議を醸した映画は『ミュンヘン』(05)だろう。原作は、ジョージ・ジョナスの「標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録」。アヴナーと呼ばれる元モサド諜報員の証言を元に書かれたノンフィクション・ノベルだ。イスラエル選手団が虐殺されたミュンヘン・オリンピック事件の報復のため、モサド(イスラエル諜報特務庁)がテロ首謀者と目されるパレスチナ人を次々に葬り去っていく、凄惨な復讐譚である。


 この書籍に対して、特にイスラエル側から「事実を捻じ曲げている」という論調が巻き起こった。作者のジョージ・ジョナス自身も、「歴史家の厳格な基準に達することは望めなかった」(*1)ことを認めている。情報源をアヴナーに頼っていたために、細部を検証することができず、情報提供者を保護する目的で内容を改変する必要もあったという。もちろん、アヴナーが本当に信頼にたり得る人物なのか?という問題もあった。しかし、スピルバーグは脚本家のトニー・クシュナーと共にアヴナーと面会を重ね、その証言が真実であることを確信するに至る。


 「アヴナーに何度も会った。何時間も一緒に過ごした。私は自分の直感と常識を信じた。彼は嘘をついていないし、誇張もしていない」(*2)


 当然、原作以上に映画にも痛烈な批判が寄せられた。モサドの高官だったデビッド・キムチェは「スティーブン・スピルバーグほどの偉大な映画監督が、虚偽の本を基にこの映画を作ったことは悲劇だと思う」(*3)と述べ、イスラエルの作家アーロン・J・クレインは「イスラエルの諜報部員が赤面するような、歪曲と空想に満ちている」(*4)というコメントを発している。



『ミュンヘン』(c)Photofest / Getty Images


 もちろんスピルバーグくらい聡明な人物であれば、このような批判を受けることは想定内だっただろう。ひょっとしたら、情報の正確性にはある程度目をつむっていたかもしれない。彼が描きたかったのは、厳密な考証に基づいたノンフィクション・ドラマではなく、テロリズムの根源について語りかけることだったのだから。スピルバーグの言葉を引用してみよう。


 「彼ら(テロリスト)の行為を相対化したり、同情したりすることとはまったく関係がない。しかし、その理由やテロの根源について問いかけなければ、犠牲者の記憶を汚すことになると信じている。私の映画は、パンフレットや風刺画のように、一面的な見方をしない。私は、複雑な質問に対して単純な答えを出すことを拒否している」(*5)


 だが『ミュンヘン』は、その“一面的な見方をしない”姿勢が、さらなる批判を浴びることになってしまった。ユダヤ人である彼が、パレスチナ人への報復行為に対して懐疑的な眼差しを向ける作品を作ったことが、問題視されてしまったのである。





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