ベラ役の最適解、エマ・ストーン
プロデューサーという立場で映画制作全体にコミットしながら、主人公ベラを圧倒的存在感で演じ切ったエマ・ストーン。彼女は『女王陛下のお気に入り』で初めてヨルゴス・ランティモスとタッグを組み、モノクロ短編の『Bleat』(22)を経て、今回の『哀れなるものたち』で3度目のコラボレーションを果たしている。ランティモスの次回作『Kinds of Kindness』にも出演予定だ。おそらくこの鬼才監督と仕事をすることで、自分の俳優としての可能性が大きく引き出されていくような、そんな感覚を覚えたのだろう。
とはいえベラ役は、肉体は大人でありながら精神はまだ子供で、物凄い速さで脳が成長していくという、とんでもない難役である。ランティモスも、芝居の参考となる作品がほとんどなかったことを認めている。
「彼女は今までに見たことのないキャラクターなので、参考になるものを見つけるのは簡単ではなかった。唯一参考にしたのは、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『カスパー・ハウザーの謎』(74)くらいかな。必ずしも直接関係があるわけではないけれど、感動的な演技だった」(*4)
だがおそらくエマ・ストーンにとっては、類を見ないキャラクターであるからこそ、定型の芝居に頼らない、自由な芝居ができるチャンスだと考えたのではないか。
『哀れなるものたち』©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
「食べること、飲むこと、世界を受け入れる方法、他人との関係、環境、セクシュアリティなど、何に対しても恥じることがないので、私にとっては本当に自由な経験でした」(*5)
筆者がこの映画を観終わったあとに思ったのは、「これって順撮りなんだろうか?」ということだった。ベラの脳が短期間で発達していくというトンデモ設定なのだから、あるシーンでは精神年齢が5歳、あるシーンでは精神年齢が10歳、あるシーンでは精神年齢が15歳というように、演技をどんどんチューニングしていく必要がある。それだけでもとてつもない作業なのに、もしバラバラに撮影していたとしたら、ハンパない調整能力である。
しかも本作は基本的にはコメディなのだから、彼女にはコメディエンヌとしての能力も求められる。ヨルゴス・ランティモスは、映画のトーンや雰囲気の参考として、脚本家のトニー・マクナマラに3本の映画を渡している。ルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(67)、メル・ブルックス監督の『ヤング・フランケンシュタイン』(74)、フェデリコ・フェリーニ監督の『そして船は行く』(83)。クラシック・ホラー映画の『フランケンシュタイン』(31)ではなく、コメディ映画の『ヤング・フランケンシュタイン』をチョイスしているのだ。
おそらくランティモスは、『哀れなるものたち』をコメディとして作ることを最初から決めていた。ベラという複雑なキャラクターを体現できると同時に、喜劇もきっちり演じられる俳優として、エマ・ストーンは最適解だったのである。