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『ゾンビランド』終末世界で「楽しく生きる」発想の妙――愛すべき“照れ屋”な爽快作

(c)2009 Columbia Pictures Industries, Inc. and Beverly Blvd LLC. All Rights Reserved.

『ゾンビランド』終末世界で「楽しく生きる」発想の妙――愛すべき“照れ屋”な爽快作

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『ゾンビランド』あらすじ

新型ウイルスの爆発感染で人類の大半が人喰いゾンビとなってしまった世界。“生き残るための32のルール”を作り、それを実践して生き延びてきた引きこもり青年のコロンバスは、最強のハンターのタラハシー、したたかな処世術を身に付けた美人詐欺師姉妹ウィチタとリトルロックとの出会い、ゾンビがいないと噂される、夢の遊園地を目指して悪夢のようなサバイバルを続ける。だが、それまで他人とまともに接したことがなかったコロンバスにとって、それははじめて生きていることを実感し、友情や恋も知ることのできた、かつてなく楽しい冒険の日々でもあった…。


Index


ゾンビ映画の醍醐味を敢えて「抜く」大胆な構造



 ゾンビ映画にあるまじき、爽やかな映画だ。


 冒頭から血しぶき全開だが、マッドなイメージもバイオレンスのにおいも皆無。コメディの要素が強いが、アメリカンなコテコテのギャグはあるようでない。むしろ、観終えた後に感じられるのは成長・友情・恋愛。『ゾンビランド』(09)は、世紀末の世界を生き抜く者たちのロードムービーであり、トラウマや孤独を抱えた男女が「居場所」を見つけるヒューマンドラマであり、なんだかとっても「いい話」なのだ。


 人類の大半がゾンビとなってしまった世界。数少ない生き残りであるコロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、「ゾンビの世界を生き抜くための32のルール」を守り、堅実に生き延びていた。そんなある日、コロンバスはハイテンションなテキサス男タラハシー(ウディ・ハレルソン)、たくましく生きる姉妹ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)と出会い、初めて「仲間」を意識し始める。


『ゾンビランド』予告


 『ショーン・オブ・ザ・デッド』(04)、『ウォーム・ボディーズ』(13)、『アナと世界の終わり』(17)など軽快なゾンビ映画は多々あるが、『ゾンビランド』はそれらと共通する要素はありつつも、どれとも違う。大きい部分は、「人生を楽しむ」テーマだろうか。「ゾンビと戦う」描写はしっかりと描きつつも、「絶対に生き延びてやる!」という泥臭さは微塵もない。むしろ「この“今”をのびのび過ごそう」という意識が感じられる。


 それは、ゾンビ化「後」の世界を描いていることも大きいだろう。ゾンビ映画では、「人が変異する→パニック」が大きな見せ場だ。ハリウッドのゾンビ大作『ワールド・ウォーZ』(13)や韓国発のヒット作『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)、日本の人気マンガを実写映画化した『アイアムアヒーロー』(16)など、国や地域を問わずにこのフォーマットが敷かれている。


 しかし、『ゾンビランド』は冒頭数分でこの説明を手早く済ませ、後は主人公の回想ぐらいしかパニック描写がない(ちなみに、そのシーンに出ているのはアンバー・ハードだ)。この映画がその「異端」な語り口を設定したのは、上記のような「どう生きるか」の描写に重点を置いたから、と考えられる。


 どうにもできないことは、考えない。暗くなっても仕方がない。その「明るさ」と「優しさ」こそが、10年を経てもいまだに観客・製作陣双方に愛され続け、続編『ゾンビランド:ダブルタップ』(19)が作られた理由でもあろう。


『ゾンビランド:ダブルタップ』予告


 ちなみに、本作は製作費推定2,360万に対して世界興行収入1億ドル超えの大ヒットを記録しているのだが、大成功を収めた作品にもかかわらず気負った部分が一切ないのも非常に興味深い。


 『ゾンビランド:ダブルタップ』においても、キャスト・スタッフ陣が存分に楽しんで作った和気あいあいとした空気が前面に出ている。気の置けない友人とカウチポテトをキメているような、リラックスした安心感。徹頭徹尾、「好感が持てる」映画なのだ。



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