伝説となった浴室シーンの源流は?
さて、本作を俯瞰する上で見逃せないのが「水」の存在だ。黄色く霞がかった空気が世の中の全てを覆い尽くす中、舞台のアパートは序盤から少しずつ水気を増していく。これが一つのバロメーターとなり、クライマックスではどんどん水嵩が増し、あらゆるカオスを浄化するかのように、アパートの内部構造を勢いよく崩落させるのである。
とりわけ重要なのが、浴室に逃げ込んだ主人公とヒロインが、蛇口を全開にして水を最大限に放出させる場面。DVDの音声解説ではジュネが「このアイデアはキャロのオリジナルだと思っていたが…その後、ローレル&ハーディのコメディ作品でこれと同じようなシーンを見つけた。もしかするとキャロはかつてこれを見たことがあって、すっかり忘れていたのかもしれないな」と語っている。
『デリカテッセン』(c)Photofest / Getty Images
試しに該当作品を探してみると、ローレル&ハーディの『Brats』(30)という作品が見つかった。そこには、子供らが夜な夜な浴室で蛇口を全開にし、やがて溜まった水が扉から勢いよく流れ込んでくるという秀逸なクライマックスが刻まれている。確かにここには何らかの繋がりがあるのかもしれない。
ローレル&ハーディ『Brats』
しかしながら、このクラシック・コメディを見ると、幾人かの人は『デリカテッセン』よりもむしろ、実写版『パディントン』(14)を強く思い起こすのではないだろうか。主人公のクマが慣れない浴室を水いっぱいに満たして、それらがバスタブごと勢いよく流れ出す感じがとてもよく似ているのだ。
実は、『パディントン』を監督したポール・キングはジュネ作品の大ファン(*2)。それこそ最新作『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23)は『デリカテッセン』からインスピレーションを得た部分も多いのだとか。なるほど、そう言われると、美術セットや癖のあるキャラクターなどいくつもの共通点が脳裏に浮かんでくる。それに、チョコレートの原料でもあるカカオ豆で闇取引が行われる部分も、『デリカテッセン』でレンズ豆やコーンが現金代わりに用いるのとよく似ている。
これは私の推測でしかないが、もしかするとジュネ好きなキング監督のことなので、『デリカテッセン』(およびジュネの音声解説)を通じてこの浴室のアイデアに触れ、そこからさらに逆引きする形でローレル&ハーディの『Brats』へと辿り着いた…なんて可能性もあるのではないか。もしご興味ある方はぜひ該当シーンを見比べて、自分なりに考察していただきたい。
ジュネとキャロの大好きなものを詰め込み、なおかつ独自の創造性で、怪しげな黒光りを放つ『デリカテッセン』。人々にフレッシュな刺激と驚きを注入し続けてはや30年以上が経過した。これからも変わらず、観る者に多大な影響を与え続けるのは間違いない。
*1)http://www.jpjeunet.com/GB/when-harvey-weinstein/
その他参考資料:
『デリカテッセン』DVD(ジュネによる音声解説)
https://www.hammertonail.com/interviews/a-chat-with-jean-pierre-jeunet/
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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