©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
『落下の解剖学』見えない真実に目を凝らす
真の主人公
かくもこの映画は多面的な読解へと開かれている。それを可能としているのは、第一には、ザンドラ・ヒュラーによる余白を残した演技だ。そしてもちろん映画自体も、彼女の演技同様、多義性を徹底的に貫く。証言が映像になって現われたとしても、それは証言を聴く者の心のなかで思い描かれた映像であって、実際の出来事自体を客観的に映したものではない。真実を知るのはサンドラ(とサミュエル)だけであり、検察が語る言葉も弁護側が語る言葉も、どちらも事態の主観的な「解釈」でしかなく、解釈には終わりがない。その場合、裁判とは真実を発見する場ではなく、検察側と弁護側、どちらの語る物語により強い説得力があるかを決める場でしかないのだ。多くの法廷映画が、判決が出たあとにそれをひっくり返すようなエピローグをつけているのは、裁判というもの自体がはらむこの弱みゆえである。
解釈の競い合いに決着をつけるのは誰か。ここでカギを握るのがダニエルだ。実は裁判シーンのかなりの部分は、「1年後」のテロップとともに登場するダニエルの、ピアノを弾きながらの回想だと考えることも可能なのである(*4)。証言が映像化されるシーンも、その大半は、彼が情景を思い描くことを契機に開始される。審理中、サンドラの姿はたびたび、ダニエルの肩越しのショット(疑似視点ショット)でとらえられる。この映画の真の主人公、真の語り手はダニエルだと言うこともできるだろう。
『落下の解剖学』©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
また、視覚障害のせいで視界が極度に制限されているダニエルの状況は、情報を部分的にしか供給されないわれわれ観客の状況の暗喩だとも取れる。いや、暗喩という言葉を出すまでもなく、持っている情報量という点で、彼はわたしたちと近い状態にある。ダニエルが取り調べに対して答えるシーンは、質問者の側の表情をとらえたショットが極端に少ない。切り返しショットを欠いたまま、えんえんと映されるダニエルの表情は、彼の困惑と混乱、よるべなき思いを強烈に伝える。法廷で初めて証言するシーンに至っては、検事と弁護士とが交互に質問するたび、ダニエルは律儀に質問者に顔を向けるのだが、ここでも切り返しショットが入ることはほとんどなく、キャメラは彼の顔を正面からとらえつづけるべく弧を描いて移動する。その結果わたしたちはダニエルが「振り回されて」いることを、目に見えるかたちで理解することとなる。
さらに、両親の抱えていた問題まで知ることになるのだから、ダニエルが精神的にいっそう過酷な状況に置かれることは言うまでもない。しかし、にもかかわらず彼は、真実を見つめることをあきらめない。あなたを傷つける話が出るからと、傍聴を見合わせるよう諭されても、彼は法廷へ向かう。視界の限られている目を凝らし、懸命に見ようとする。そして決断のときがやってくる。裁判を終わらせるのは、この裁判の語り手であるダニエルをおいてほかにない。雪上に父を見つけたときと同じ身振りを、彼が愛する者を相手に反復するのをきっかけに、事態は決着へと向かうことになるだろう。
(*1)階段をボールがバウンドしながら落ちてくるのはホラー映画だけではない。たとえばロバート・オッペンハイマーがモデルのひとりだとも言われる物理学者をゲーリー・クーパーが演じた、フリッツ・ラングの諜報スリラー『外套と短剣』(46)でも、このモチーフはサスペンスを効果的に盛り上げていた。これが使用された事例として筆者が確認できた最も古い作品は、最初期のワイドスクリーン映画でもあるローランド・ウェスト監督のミステリー映画 The Bat Whispers(30)だが、もっと古くからあるのかもしれない。なお、事例の探索においては、南波克行・西田博至両氏にご協力をいただいた。
(*2)この映画の原題はAnatomie d’une chute、英語題名はAnatomy of a Fall。『或る殺人』という題名で日本公開されたオットー・プレミンジャーの法廷映画、Anatomy of a Murder(59)にちなんだものだと思われる。もっとも、厳密にいえば『或る殺人』のフランス語題名はAutopsie d’un meurtreなので、なぜフランス語の原題がAutopsie d’une chuteではないのかという疑問も出そうだが、プレミンジャーのこの作品は圧倒的に英語題名のほうで世界的に知られているから、フランス語の原題もそちらにならったのかなと思う。あくまで想像ですが。ちなみにautopsieは英語だとautopsyで、「検死解剖」の意。
(*4)映画が始まって50分ほど経ったところで、「1年後」というテロップとともに、赤いセーター姿でピアノを弾くダニエルが映る。このとき審理はすでに終わっており、彼は判決の報告が届くのを待っているのだ。プロットがそのような構造になっていることは別に秘密でも何でもなく、途中幾度か暗示されるのだが、誰の目にもわかるようはっきりと明かされるのは終盤になってのことである。
文:篠儀直子
翻訳者、映画批評。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)、『BOND ON BOND』(スペースシャワーネットワーク)、『ウェス・アンダーソンの世界 ファンタスティック Mr.FOX』『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(以上DU BOOKS)、『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)等。
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『落下の解剖学』
2024年2/23(金・祝)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
配給:ギャガ
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma