世界の法則を回復せよ
『悪は存在しない』の町は、夜になると何も見えないくらい真っ暗になる。夜が深い夜であること。筆者は小さい頃に生まれ育った田舎の夜の本当の暗さを思い出した。都市の夜はどこであろうと、とても明るいことを忘れていた。そしてこの映画の舞台となった長野県の町は深い霧につつまれることもある。ここには人間がコントロールできないような夜の“裂け目”がある。濱口竜介はこの“裂け目”に向かっていく。
自然の風景は常に動いているが、子どもたちの遊ぶ「だるまさんがころんだ」のように、その微妙な変化に気づけないことが多い。そして筆者も含め多くの人は忘れっぽい。寡黙で敬語を使わずにぶっきらぼうに話す巧が娘の迎えの時間をうっかり忘れてしまうのは、彼のユーモラスな側面であり、人間の忘却を体現しているようでもある(巧はぶっきらぼうだが、決して礼儀を知らないような人間ではない。この土地のことを知りつくし、多くの住民からも頼りにされている)。それは子供の成長にも当てはまる話だ。娘の花役を演じる西川玲は、あきらかに子供だが、ふとした瞬間、横顔の表情が大人の女性のように見えるときがある。その瞬間にハッとさせられる。
『悪は存在しない』©2023 NEOPA / Fictive
濱口竜介はこの土地の生活を必要以上に美化することはしていない。巧が説明会で述べたように、この土地に集まった者は元々全員が「よそもの」なのだ。ふと思う。アメリカの移民社会の縮図のようなことが、日本の各地でも起こってきたのだと。たとえ日本人同士であろうと、私たちの社会は「よそもの」の集まりだ。そこにそれほどの変わりはないのではないかと。
企業による都市生活者のためのグランピング建設計画では、不便さを感じずに自然を楽しむという身勝手な合理性が優先される。安全に過ごすために。恐怖を避けるために。『悪は存在しない』は、恐怖を避けるような合理性では到達できない、まったく説明のつかない地点に映画を転がせていく。世界の法則を回復するためには恐怖と共存せよとでも言わんばかりに。この映画を体験する者は、深く立ち込める霧の中、夜の“裂け目”に目掛けて飛び込んでいくことになる。そしてそこで目撃する光景に圧倒されることだろう。善悪の判断はまだそこにはない。『悪は存在しない』が飛び込んでいく場所は、恐怖が生まれる“裂け目”なのだ。とんでもない傑作の誕生だ。
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『悪は存在しない』
4月26日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国順次公開
配給:Incline
©2023 NEOPA / Fictive