異なる視点を対峙させるイーストウッドの志向
イーストウッドと栗林は、なぜ一体化したのか。そこには栗林中将の経歴も関係してくるだろう。栗林忠道はワシントンやカナダの日本大使館(公使館)での駐在経験があり、英語は堪能。硫黄島での戦いで日本軍を指揮しながらも、その戦いがいかに無謀であるかを熟知していたと考えられる。硫黄島の戦いがアメリカ軍が想定していた以上に長引いたのは、栗林が負けを覚悟でいかに戦いを引き延ばすかに腐心した結果でもある。同じくバロン西も、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術で金メダルを獲得しているように、国際的視点に立っていた人である。イーストウッドが栗林や西にアメリカ人のセンスを感じ取ったからこそ、本作を監督できたとも考えられる。国のために自らの命を捧げる当時の日本人の精神についてイーストウッドは「そのメンタリティを理解するのは難しい」と語っている。劇中で最も衝撃的な瞬間として、日本兵たちが「天皇陛下、万歳!」と叫び、次々と自決するシーンが挙げられるが、イーストウッドがその思いを完全には理解できなかったとしても、かろうじて栗林や西の視点に立っていたことで、あのように描写しきれたのだとも推察できる。
激戦が行われた戦いを描きながら、『硫黄島』は戦争アクション大作という印象は少ない。大スケールの戦闘映像は限定的だからだ。ただ、同じ戦いも出てくる『父親たちの星条旗』と2部作としたことで、戦闘シーンでは同じカットが使用されていたりもする。単独作品では描ききれなかったであろうスペクタクル感が加味されたのも事実。『硫黄島』は“銀残し”も思わせるほとんどモノクロのような映像で、『父親たち』もカラー作品ながら、彩度を落とした色調。両作のシンクロにも違和感がない。
『硫黄島からの手紙』(c)Photofest / Getty Images
2本の映画で一作と言ってもいいスタイルで、一人の監督が日本、アメリカ双方の立場を描くというのは明らかに異色のチャレンジだが、そもそもイーストウッドは1本の映画で、2つの異なる視点を同等に描くアプローチを好む。『許されざる者』(92)、『ミスティック・リバー』(03)、『ミリオンダラー・ベイビー』といったアカデミー賞も賑わせた彼の代表作は、すべてその特色が際立っていた。もちろん『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』の両方を観ることで、イーストウッドの志向はよくわかるのだが、どちらか一本を観ただけでも、アメリカおよび日本の視点に偏っていない“神の視点”を感じ取ることも可能だ。
「私が観てきた戦争映画は、どちらかが正義で、どちらかが悪だった。しかし人生はそんなものではないし、戦争もそうではない」
このクリント・イーストウッドの言葉が、2作それぞれに深く込められている。
※文中のコメントなどは、公開時の筆者とのインタビュー、および記者会見から引用。
文:斉藤博昭
1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。クリティックス・チョイス・アワードに投票する同協会(CCA)会員。
(c)Photofest / Getty Images