映画自体が持つ“騙し”のテクニック
さて、ロネガンを騙す下準備としてロネガン本人と知り合うために、ゴンドルフは走行中の列車の中でおこなわれるポーカー勝負に参加することになる。イカサマを駆使しても勝とうとするロネガンに対し、逆イカサマを仕掛けて勝利することで、リベンジを誘おうという企みなのである。
大勝負を前にして、フッカーの前でトランプのカードを巧みにさばき、優れたカード技術を見せるゴンドルフ。このシーンでは、見事にカードを操る手元を捉えた映像がじっくりと見せられる。当然観客は、「どうせこの場面は別人が吹き替えているのだろう」と思うはずである。しかし、カメラがそのまま上を向くと、そこにはゴンドルフを演じるニューマンの顔があり、「あれっ、カードをさばいていたのは、本当にニューマン本人だったのか」と、驚かせる仕掛けが用意されている。まさに“騙し”の演出だ。
しかし、である。ニューマンは実際にはカード技術を身につけることはせず、ここで実際にカードをさばく手元を演じているのは、プロのマジシャン、ジョン・スカーンだとされている。これはいったい、どういうことなのだろうか。そこで、よく映像を確認してみると、手元の見事なカードさばきシーンが終わる少し前に、じつは両手が画面外に消える瞬間があることがわかる。おそらくはこの短い一瞬が編集点となり、ジョン・スカーンとニューマンが入れ替わっているものと考えられる。このような数段構えで観客を欺く仕掛けこそが、『スティング』の真骨頂なのである。
こういった“騙し”のシーンに象徴されるように、デヴィッド・S・ウォードによる脚本も“騙し”に挑戦的だ。本作には、観客を引っかけるクライマックスの大仕掛けが用意されているが、その前に殺し屋をめぐるサプライズが描かれるところがポイントなのだ。
『スティング』(c)Photofest / Getty Images
人間の心理として、意外な展開に翻弄されると、そこに注意が向くことで、より大きなサプライズの正体に気づきにくくなる。これは、「サスペンスの帝王」アルフレッド・ヒッチコック監督も常套的におこなった、観客誘導術に近いものだ。これもまた、『スティング』が仕掛ける“騙し”のテクニックの一つだといえるだろう。
本作に仕掛けられている人心を掌握する技術は、ある意味で本物の詐欺に接近していると言えないこともない。しかし考えてみれば、映画という表現媒体自体が、そもそもさまざまな撮影、編集などのトリックを利用して観客を騙し、表現し得ないはずのものを表現してきた歴史がある。本作『スティング』は、そんな映画作品の歴史を飲み込んで、観客に昔ながらの娯楽を提供した一作だといえるのだ。
文:小野寺系
映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。
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