晩秋の空、間違えたかもしれない選択
「彼女は晴れた空に浮かぶ星を見ながら、自分は正しい決断をしたのだろうかと考えていた」(ニコラ・スパークス「きみに読む物語」)*
ノアとアリーの恋愛に反対するどころか、ノアが365日、毎日送り続けた手紙をアリーに渡さなかった母親(ジョアン・アレン)は、かつて娘のアリーと同じような決定的な恋愛をしていた。ジョアン・アレンは厳格な母親を演じる一方で、かつての自分の選択への後悔を滲ませる驚くべきニュアンスの演技を披露している。現在の幸せを肯定しつつ、それでも人生のどこかで自分は間違った選択をしてしまったのかもしれないという感覚は、とても共感できるものだ。ニコラ・スパークスの原作にある「亡霊」という言葉は、人生のあらゆる選択に付きまとう影のことだ。
『きみに読む物語』(c)Photofest / Getty Images
離ればなれになったノアとアリーは再会する。アリーにはロン(ジェームズ・マースデン)という両親も喜ぶ良家の婚約者がいる。ノアとアリーのややぎこちない再会の時間には、思い出の中にいる相手=亡霊を愛しているだけなのではないだろうか?という自分への疑念が見え隠れする。しかし二人の疑念は、『きみに読む物語』を象徴する雨のキスシーンによって雪崩のようにかき消される。このシーンが名シーンとして語り継がれるのは、大雨のドラマチックな演出によるものだけではない。二人の間に流れていた疑念が雨によって洗い流され、最初のデートでアリーが見せた、生まれて初めて心の底から笑うことを覚えたようなあの笑顔がここで再現されるからだ。二人にとって選択の正しさを証明するものは、おそらくここにしかない。
老後の二人。晩秋の空。アルツハイマーに罹り、記憶が薄れていくアリーに“デューク”と名乗るノアが二人の“物語”を読み聞かせる。365日、毎日手紙を書いていた若い頃の情熱のままに。この世界からいなくなる前の走馬灯のような話は、かつてアリーが書いた“物語”だ。恋人たちの決断、結末が気になるアリー。原作では「恋をしているバカな老人」と自虐的に自分のことを語るノア。ノアはアリーが何かを思いだす、ほんの一瞬だけを信じて生きている。自分は正しい選択をしているのか。晩秋の空は何も答えてくれない。しかしそれが陳腐な選択に見えるのなら、世の中に陳腐でないものがどれほどあるというのだろう。この世界は詩を必要としている。そして愛とは陳腐なものだからこそ、掛けがえのないものなのだ。
*「きみに読む物語」ニコラ・スパークス著・雨沢泰訳(新潮社)
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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