『ブルーバレンタイン』あらすじ
結婚7年目で、かわいい娘と暮らすディーンとシンディ。かつては深く愛し合っていたものの、今では2人の間の溝は深まるばかり。ディーンの仕事はペンキ塗りで、シンディは長年の努力の末に医学の資格を取り、看護師として働いている。上昇志向が強いシンディは、朝から酒を飲み、まともな仕事に就こうとしないディーンの無気力ぶりが歯がゆくてならない。一方のディーンには、シンディがなぜそんなに多くを求めようとするのかがわからない。お互いに不満を募らせていく2人。そんなある日、ディーンは壊れかけた夫婦関係を修復すべく、シンディをラブホテルへと誘うのだが…。
Index
「デュエット」という概念
「この映画を本当に特別だと思えるのは、答えを持っているふりをしていないこと、何かを知っているふりをしていないところです」「私たちは問いを投げかけようとしています。愛に何が起こるのか?愛はどこへ向かうのか?あんなに愛し合っていたのに、どうして数年後にはお互いを殺そうとしているのか?なぜそうなってしまうのか?」(ライアン・ゴズリング)*1
本作の監督、デレク・シアンフランスの言葉でいうところの「デュエット」として、結婚の誕生と破綻が『ブルーバレンタイン』(10)には描かれている。ディーン(ライアン・ゴズリング)の演奏するウクレレに合わせてタップダンスを披露するシンディ(ミシェル・ウィリアムズ)。まるで初めて手に入れた玩具でじゃれ合う子供のような恋人たち。この名シーンには、永遠を刻印するような、ささやかにして絶対的な多幸感がある。しかし恋人たちは、この永遠という名の刻印に苦しんでいく。
この先百年生きたとしても、同じ喜びを得ることは難しいと思えるほどの多幸感と、目の前の相手の全てを受け入れられなくなってしまった結婚生活の破綻、そして嫌悪感が、本作では交互に描かれていく。
『ブルーバレンタイン』予告
あんなに愛し合っていた二人の間に、いったい何が起きてしまったのか?なぜ二人の心と心は通わなくなってしまったのか?現状の生活に満足しているディーンの野心のなさに、シンディは耐えきれなくなってしまったのだろうか?おそらく原因は一つではない。本作はドラマチックな破綻のきっかけを誠実に回避している。そこには一緒に年を重ねていくことの時間の重みに耐えきれなくなってしまった二人の姿だけがある。そして多幸感と嫌悪感を「デュエット」として克明に観察していくカメラがある。
ディーンの立場からすれば、何一つ変わっていないのかもしれない。ディーンはシンディのことを変わらず愛している。結婚から六年が経過したディーンは頭髪も薄くなり、明らかに生活に疲弊している。しかし、ディーンのシンディに対するユーモラスな態度は、実のところ結婚前の態度と大きく変わっていない。ただ、まったく同じことをしても、シンディはディーンの行動に対して以前のように笑い合うことができなくなっている。シンディは、あからさまな嫌悪感を出さないようにギリギリのところで我慢している。映画の冒頭で、ディーンは娘のフランキーとテーブルに無造作に置かれたレーズンを口で吸いとっていく。無邪気にじゃれ合う父娘の様子に、シンディは冷ややかな視線を向ける。キャラクターのバックグラウンドをまだ把握できていない観客にさえ、二人の関係がどこか上手くいっていないことが明らかになる。
デレク・シアンフランスは二十歳の際、両親の離婚を経験したという。また、ライアン・ゴズリングもミシェル・ウィリアムズも同じく両親の離婚を経験している。即興演技を重視した『ブルーバレンタイン』には、色褪せていく恋愛感情や疲弊していく結婚生活について、三者三様の経験則による視点が複層的に織り重ねられている。