十二年の歳月による変化
「私は十二年間、観客の一人として過ごしてきました。映画館で『ブルーバレンタイン』が上映されるのを見たいと思いながら、見ることができずに座っていたのです」(デレク・シアンフランス)*2
デレク・シアンフランスにとって『ブルーバレンタイン』は、十二年の構想の果てに完成した悲願の作品だった。ミシェル・ウィリアムズが『ブロークバック・マウンテン』(05)でアカデミー助演女優賞にノミネートされ脚光を浴びる以前から、彼女とは映画の構想を話し合っている。当時のミシェル・ウィリアムズは、TVドラマ『ドーソンズ・クリーク』(98~03)の撮影が終わり、どうすれば自分の出演したい作品と深く関わっていけるかを模索していた時期だった。『ブルーバレンタイン』の草稿を読んだ彼女は、まるでキャリアの啓示を受けたかのように強烈なインパクトを受け、その時に着ていたドレスを「あの日を忘れないように」記念品として保管しているのだという。
しかし、本作が撮影開始される際、まだ小さかった娘との時間を大切にしていたミシェル・ウィリアムズは、出演に難色を示した。そこでデレク・シアンフランスは、彼女の住んでいる家から一時間以内で通えるロケーションを探しだし、海の近くが舞台だった当初の脚本を変更している。このエピソードからは、ミシェル・ウィリアムズという稀代の俳優への絶対的な信頼がうかがえる。彼女でなければ映画を始めることはできなかったのだ。
「ミシェルと海、どっちが大事なんだろう?ミシェルは海のように深い。僕は彼女を選ぶよ」(デレク・シアンフランス)*3
『ブルーバレンタイン』(c)Photofest / Getty Images
また、ライアン・ゴズリングに関しては、2005年の段階で本作の最初の話し合いがもたれている。撮影に至るまでの間に、メインキャストの二人は、それぞれハリウッドで偉大なキャリアを積み重ね、デレク・シアンフランスは二人の子供を持つ父親になっている。一時は「呪われた映画」であるかのように思えたという『ブルーバレンタイン』は、監督のみならず、この三人にとって長年の構想を経た悲願の作品として、ついに撮影の日を迎える。
ところがデレク・シアンフランスは、撮影現場で十二年の構想を持つ脚本や、予め準備していた膨大な絵コンテのすべてをかなぐり捨ててしまう。脚本に書かれた台詞が「死んだ台詞」のように思えたのだという。キャストの二人には監督を驚かせるようなアクション/リアクションが求められた。本作の撮影現場では、それぞれのシーンがどこから始まりどこへ向かっていくのか、方向だけが「点」として示され、始発点と終着点をつなぐその線を、二人のキャストが自由に描いていくという手法を取ったのだという。
つまり『ブルーバレンタイン』は、十二年の歳月を経て完成に至るまでの内に、様々な段階で破壊と再構築を繰り返している。それが予め決められていた、この作品にまつわる神話であったかのように。父親になったことが本作に多大な影響を与えたデレク・シアンフランスをはじめ、メインキャストの二人にとっても、人生の「年輪」が結果として本作には刻まれている。では、その「年輪」を画面に宿す方法論とは何だったのか?