2024.08.29
アニエス・ヴァルダの方法論
「時間の経過の鋭い感覚、カビやサビ、消化されない屈辱や閉じない傷、私たちの感情に浸食するもの。魂の傷には写真では不十分だった」(アニエス・ヴァルダ)*2
ヌーヴェルヴァーグ以前の1954年に自身の映画製作会社を立ち上げたアニエス・ヴァルダは、女性映画作家のパイオニア的存在だ。美術史を学び、写真家としてキャリアをスタートさせたアニエス・ヴァルダ。彼女にとって静止画は自身のルーツでもある。『アニエス V.によるジェーン B.』では、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「ウルビーノのヴィーナス」を始め、ジェーン・バーキンが様々な絵画の登場人物に扮している。内なる動きを封じ込めたものとしての静止画、写真。
アニエス・ヴァルダが「セーヌ川の身元不明少女」について語るシーンが興味深い。1880年代にセーヌ川から引き上げられた身元不明の少女の遺体。死因は自殺と考えられている。遺体の美しさに心を打たれた病理学者は彼女のデスマスクを制作する。シュールレアリストたちをはじめ多くの芸術家の想像力を刺激したこのデスマスクは、モナ・リザの微笑みのごとく笑っているように見える。デスマスクを作った者が彼女の笑顔を作ったのか?アニエス・ヴァルダは『散り行く花』(1919)のリリアン・ギッシュのように、自分の指で口角を上げ笑顔を作る身振りしながら語っている。身元不明の女性は“無名の有名人”として知られることになる。どれだけ想像力を駆使してもこの女性の真相を知ることはできない。ここにはイメージの創造と同時に、決して真実には近づけないというイメージの“剥がし”がある。
スポットライトを浴びたいという欲望と、どこかに隠れていたいという気持ちで常に引き裂かれているジェーン・バーキン。大胆でありながら臆病であるという人柄は、面白いことに娘のシャルロット・ゲンズブールを知る関係者からもよく聞こえてくる声だ。“匿名の有名人”への憧れ。アニエス・ヴァルダはまだ作られていない映画の主人公を次々と演じてもらうことで、ジェーン・バーキンというイメージを創り、剥がしていく。その瞬間、彼女は神話的ともいえる歴史から解き放たれる(しかし、ターザンの恋人の“ジェーン”役は一度演じたことがあるという虚実の混合ぶりも面白い)。
カメラ目線が苦手なジェーン・バーキン。肖像画の額縁のようなフレームのある鏡。ふとジェーン・バーキンの背後に“作者”であるアニエス・ヴァルダが映り込む。アニエス・ヴァルダは自身がカメラに映ることで、ジェーン・バーキンの不安を取り除いている。本作の冒頭に続くシーンは、アニエス・ヴァルダとジェーン・バーキンの生涯に渡る友人関係の始まりを告げている。