2024.09.15
ロスト・イン・スペース
アンドロイドのアンディがアンドロイドの遺体を発見するシーンは興味深い。『エイリアン』シリーズには、常に生と死、人間と怪物、人間と機械、過去と未来の境界を揺さぶっている。前日譚『プロメテウス』(12)における不鮮明なホログラムが、未来的であると同時に動く象形画のような強烈な印象を与えていたように。このシリーズのアンドロイドや“怪物”には、フランケンシュタイン博士のような欲望と創造と失敗がある。そこには常に警鐘としての問いがある。エイリアンの個体を研究しようとすること自体が人間のエゴであり、愚かな行為は必ず自滅を迎える。
『エイリアン:ロムルス』には“故人の復活”というアクロバティックなアイデアがあるが、フェデ・アルバレスは倫理的な賛否を呼ぶであろうAIを敢えて用いることで、フランケンシュタイン的な行き過ぎた科学への警鐘という、このシリーズのテーマを引き継いでいるともいえる。このアイデアは感動的であると同時にテクノロジーに対する警告でもある。アンドロイドやエイリアンは私たちの“恐怖の鏡”として機能する。私たちの身体自体が私たちを滅そうとしている。
『エイリアン:ロムルス』(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
この世界からの“亡命”。労働者階級のティーンのような少女が光を求めて宇宙で迷子になる。閉所的な宇宙船内における無重力シーンは、キャラクターたちだけでなく、カメラごと重力を失ったような万能感がある。このシーンは『エイリアン4』で水中をエイリアンが泳いだシーンと同じく、ワクワクするような楽しさに溢れている。この世界の重力からの解放。
永遠に明けない夜から逃れようとするレインが、宇宙という夜の中で夢を見る。レインの表情にはひとりぼっちで夢を見続けることの覚悟が漲っている。『エイリアン:ロムルス』は廃墟となった宇宙船で先人たちの夢の残骸を拾いながら、それでも夢を見続ける“私たちの時代のヒロイン”の誕生を祝福している。
*「闇の奥」 ジョゼフ・コンラッド著 黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫)
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『エイリアン:ロムルス』
大ヒット上映中
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.