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『十一人の賊軍』アンチ・ヒーローたちのサバイバル・ドラマ、幕末のスーサイド・スクワッド ※注!ネタバレ含みます

©2024「十一人の賊軍」製作委員会

『十一人の賊軍』アンチ・ヒーローたちのサバイバル・ドラマ、幕末のスーサイド・スクワッド ※注!ネタバレ含みます

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※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。


Index


60年前に執筆された幻のプロット



 『博奕打ち 総長賭博』(68)、『仁義なき戦い』(73)、『県警対組織暴力』(75)、『二百三高地』(80)…。およそ40年に渡って数々の名作を生み出してきた名脚本家、笠原和夫。そんな彼の作劇術に斬り込んだ「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」が、すこぶる面白い。


 これは、脚本家・映画監督の荒井晴彦と文芸評論家の絓秀実が聞き手となって、笠原和夫の膨大な仕事に迫るインタビュー集。昭和を代表する脚本家のHOW TO本であると同時に、美能幸三やら児玉誉士夫やら赤尾敏といった名前がバンバン出てくる、昭和の生々しい記録でもある。帯に書かれた「昭和の闇と差し違えた日本最大の脚本家」というコピーに、偽りなし!


 そして何より、笠原和夫の口から出てくるエピソードが豪快すぎ。『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73)では、出番が少ないとゴネる菅原文太と殴り合い寸前までいったり、『博徒七人』(66)の脚本に「こんな暗い話じゃ、これからは東映で仕事できなくなる」とケチをつけた小沢茂弘監督に、「じゃあ俺は降りる!」と目の前で130枚の原稿を破ったり。もう一度繰り返しますが、「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」はヤバいくらいに面白い本なので、ぜひご一読をお薦めします。


 その生涯で数多くの脚本を手がけてきた笠原和夫だが、映像化されず幻の企画で終わった作品もある。そのひとつが、1964年に執筆された『十一人の賊軍』だ。時は、戊辰戦争が勃発した1868年。江戸幕府による支配は、もはや終わりを告げようとしていた。藩の存続のため、新発田藩は密かに薩摩・長州による新政府軍に寝返ることを画策。だが、城内には出兵を求める旧幕府軍がすでに到着していた。



『十一人の賊軍』©2024「十一人の賊軍」製作委員会


 このままでは、東へ進軍する新政府軍と旧幕府軍が鉢合わせして、新発田が戦火に見舞われてしまう。そこで城代家老・溝口内匠は一計を案じ、10人の罪人たちに砦を守らせて新政府軍を足止めする計画を立てる。まさに“極”悪党たちが命をかけて戦う、幕末のスーサイド・スクワッド。シビれるくらいに面白いプロットを、笠原和夫は60年も前に生み出していた。


 ところが当時の東映京都撮影所所長・岡田茂が、「全員討ち死にで負ける話です」という筋書きを聞くなり、「負ける話なんかやってどうすんのや!」とあっさり却下。1年かけて作り上げた350枚のシナリオは、すべて無駄になってしまった。頭に来た笠原和夫は、脚本を全て破り捨ててしまったという(彼は何かと原稿を破ってしまうのだ)。


 という訳で、もはや脚本自体はこの世に存在していないが、16ページのプロットは残されていた。それをKindleで発見し、読むなりたちまち魅了され、映像化に向けて動きだした人物こそ、白石和彌監督。彼は、広島を舞台に警察とヤクザの過激な攻防を描いた『孤狼の血』(18)、その続編『孤狼の血 LEVEL2』(21)で、『仁義なき戦い』へのオマージュ…いや、どちらかといえば『県警対組織暴力』にオマージュを捧げている。


 笠原トリビュート映画を手がけた白石和彌が、彼の幻のプロットを元に時代劇を作ることは、もはや歴史的必然だったのだ。




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