2025.03.11
「ホークス的女性像」の典型としてのヒルディ
『ヒズ・ガール・フライデー』で改めて注目したいのは、ヒルディという女性像の画期性。ヒルディは誰よりも有能な記者であり、編集長の悪巧みをすぐに見抜く頭の良さを備えた人物だ。これは元の戯曲や『犯罪都市』と変わらぬ人物像だが、男性から女性になったことで、その見え方は大きく変わる。ウォルターの新聞社でも、記者クラブでも、彼女以外の登場人物はみな男ばかり。ジャーナリズムの世界は明らかに男性社会なのだ。しかし彼らは女性だからといってヒルディを軽んじることはなく、むしろ記者として一目置いている。彼女が他の男と再婚するのを妨げようとウォルターが必死になるのも、彼が女性として彼女を愛しているからという以上に、こんなにも有能な部下を絶対に手放したくないからだ。
1940年に、男社会のなかで有能な職業人として認められ、男たちと対等に渡り合う女性がヒロインとして描かれていた事実に、今見ても驚いてしまう。ホークスが描く女性像は、強気で頭の回転が早く、男性と対等に議論をし、ときには女性の方から男性を誘惑するキャラクターであることが多い。「ホークス的女性像」の典型としては、本作のロザリンド・ラッセルを筆頭に、『脱出』(44)や『三つ数えろ』(46)のローレン・バコールや、『赤ちゃん教育』(38)のキャサリン・ヘプバーン、『リオ・ブラボー』(59)のアンジー・ディキンソンなどがよく挙げられる。『僕は戦争花嫁』(49)では、アン・シェリダンが、戦時中に恋に落ちたフランス軍兵士のケーリー・グラントを「戦争花嫁」としてアメリカに入国させようと奮闘するアメリカ軍士官を演じていた。
ホークスがフェミニストであったとは言い難いものの、こうした強い女性キャラクターを映画のなかでたびたび登場させ、ときには男性よりもずっと有能な職業人としての女性を描いた点で、ホークスの映画がその後の映画に与えた影響は大きい。
『ヒズ・ガール・フライデー』(c)Photofest / Getty Images
「男は仕事、女は家庭」という価値観をひっくり返す
『ヒズ・ガール・フライデー』では、ヒルディの有能さを強調するため、戯曲にはなかった死刑囚のアールとの面会シーンが加えられた。ヒルディは刑務官を買収し勝ち得た数分間の面会で、アールに対し的確かつ心のこもったインタビューを行う。そして彼女はすぐに記事を書きあげ、他の男性記者たちに「こんなに見事な記事を書けるのはヒルディしかいない」と感嘆の声をあげさせる。
映画は、アールの脱走をめぐる大騒動を経て、死刑判決をめぐる権力側の陰謀を明かす結末へと向かっていく。そして当然のように、主人公ふたりの復縁がラストを締めくくる。ただし、これを月並みなハッピーエンドだとは言うのは早計だ。なぜなら、仕事をやめて主婦になり、働く夫を支え、家で子供たちの面倒を見るのが女の幸せだと説くのは、ブルースとの結婚を決意したヒルディの方であり、対するウォルターは、家庭に入るために仕事をやめるなんて馬鹿げている、君の能力をもっと活かすべきだと説得し続けるからだ。卑劣な手で女性の人生を自分の意のままにしようとする悪辣な男に見えたウォルターが、実は「男は仕事、女は家庭」という価値観を否定し、彼女の真の欲望、つまりもっと仕事がしたくて仕方がない、という記者魂を引き出すヒーローであるという皮肉。その矛盾こそが、『ヒズ・ガール・フライデー』を唯一無二の傑作にしたいちばんの要素かもしれない。
参考文献
トッド・マッカシー「ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督」高橋千尋訳、2000年、フィルムアート社
瀬川裕司「映画講義 ロマンティック・コメディ」2020年、平凡社
文:月永理絵
映画ライター、編集者。『朝日新聞』『週刊文春』『CREA.web』などで映画評やコラムを連載中。ほか映画関連のインタビューや書籍・パンフレット編集など多数。著書に『酔わせる映画 ヴァカンスの朝はシードルで始まる』(春陽堂書店)。
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