2025.04.10
シロウト集団がもたらすカタルシス
『シンシン』がこだわった、あえてプロフェッショナルの俳優を使わず、リアリティを重視する作りは、多くの名作でも試みられてきた。代表例が1940〜60年代、イタリア映画のネオレアリズモで、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(48)では、失業労働者の主人公に、実際に仕事を失ったばかりの電気工がキャスティングされた。他にもイランのアッバス・キアロスタミなど、このアプローチを好む監督は数多い。近年ではクリント・イーストウッド監督が列車内での銃撃事件を描いた『 15時17分、パリ行き』(18)で、実際に事件に巻き込まれた、演技未経験の3人の乗客に本人役を演じさせている。
“色の付いてない”キャストを演出し、本物の感情を引き出すことは、多くの監督にとってひとつのチャレンジであり、密かな欲求なのだろう。うまく作ることができれば、現実とフィクションのボーダーが破壊され、特別な体験が届けられるわけで、そこを『シンシン』は見事に達成している。
『シンシン/SING SING』© 2023 DIVINE FILM, LLC. All rights reserved.
ちなみにフランス映画にも『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』(20)という、やはり実話を基にした同様のストーリーの作品があるが、そちらは実際の刑務所で撮影を行いつつも、当事者をキャスティングしたわけではない。
このようにいわゆる“シロウト”の集団が、ひとつの舞台を作り上げるドラマは、最終的に大きなカタルシスを与えることが可能なので、映画でもたびたび題材になる。さまざまなタイプがあり、中年男たちがストリッパーとなる奮闘を描いた『フル・モンティ』(97)、小さな町のタップダンス教室に通う生徒たちの『ステッピング・アウト』(91)など、有名作から隠れた名作まで数多く挙げられ、それらと同じ流れで、『シンシン』でも演劇とは縁遠かった面々の“覚醒”が、大きな感動を予感させながら物語が進んでいく。