懐古的な幻想性&怪奇性
ロバート・エガースの長編映画デビューは、華々しいものだった。17世紀のニューイングランドを舞台に、敬虔なキリスト教徒の家族が怪奇現象に直面し、やがて崩壊していくホラー映画『ウィッチ』(15)で、サンダンス映画祭の監督賞を受賞。彼の手腕は高く評価され、次回作として『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイクがアナウンスされる。
だが彼は、その時期が“早すぎる”と考えていた。あるインタビューでは、「私のような立場の映画作家が次に『ノスフェラトゥ』をやるのは、醜悪で冒涜的で自己中心的で嫌な感じがする。本当はしばらく待つつもりだったのだが、運命でこうなってしまったんだ」(*3)と答えている。
結局企画はしばらく寝かせることにして、灯台守たちの狂気をモノクロームの映像で描いた『ライトハウス』(19)、北欧神話をベースにした復讐叙事詩『ノースマン 導かれし復讐者』(22)を制作。彼にはそれだけの時間と自信が必要だったのだろう。映画作家として揺るぎない評価を勝ち得たロバート・エガースは、満を持して『ノスフェラトゥ』に取り掛かる。
35ミリで撮影されたフィルムルック、彩度の低い色彩設計、クローズアップの多用、シンメトリーな構図、明らかなオーバーアクト。かつてF・W・ムルナウが、ドイツ表現主義的手法によってゴシック・ホラーの扉を開いた100年前に回帰したかのような、エキセントリックな表現の数々。その文体は、明らかにコンテンポラリーなものではない。
『ノスフェラトゥ』© 2024 Focus Features LLC. All rights reserved.
ロバート・エガースの目論見は、現代的なアプローチによって古典をアップデートさせることではなく、大胆不敵なヴィジョンでサイレント映画期の精神を現代に復権させることだ。エレンを演じるリリー=ローズ・デップの極端なクローズアップを繰り返し映し出すのは、彼がフェイバリットのひとつに挙げている『裁かるるジャンヌ』を彷彿とさせるし、彼女が空中浮遊するシーンは、ジャン・コクトーの『詩人の血』(32)のようだ(もちろん、まんま『エクソシスト』(73)の構図もあったりするのだが)。
思えば、鬼才ヴェルナー・ヘルツォークがリメイクした『ノスフェラトゥ』(79)も、静謐な恐怖をたたえた傑作だった。だが、アプローチはまるで異なる。ヘルツォーク版の伯爵は、白塗りスキンヘッドという『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)のウォーボーイズみたいな御面相だったが、ロバート・エガース版は、肉体が半分朽ち果てたアンデッド状態。疫病が蔓延する様子を、ヘルツォークは閑散とした街とネズミの大群の対比によって描いていたが、ロバート・エガースは“悪魔の巨大な手が街を覆い尽くす”という強烈ビジュアルで表現した。
リアリズムよりも、懐古的な幻想性&怪奇性。この作品は、ロバート・エガースがF・W・ムルナウの正統な後継者であることを高らかに謳っている。