コークからマーラまでを繋ぐ運命
加えて、チェリーコークの洪水シーンにも元ネタがある。かつて監督自身がニューヨークに滞在していた頃、クリスマスイブに妻とシネコンへ映画を観に行った時に事件は起こった。ふと気づくと、売店のカーペットがびしょ濡れになっている。どうやら売り場のマシンが壊れてコークがどんどん漏れ出しているらしい。
決定的な異変が起こっているにもかかわらず、従業員も客も、誰もがさも何も起こっていないかのように平然とした顔でイブの夜を過ごしている。監督はその光景に利益追求型の資本主義社会の完璧な形(というか”なれのはて”)を見た思いがしたそうだ。
ちなみにこの時に観た映画は、ルーニー・マーラ主演の『ドラゴン・タトゥーの女』(11)。今回の『ラ・コシーナ』で監督が熱意あふれる手紙をしたためて、子育てのため少し俳優活動から距離を置いていたマーラに役をオファーしたのも、きっとクリスマスイブから連綿と繋がる何かの運命だろう。
『ラ・コシーナ/厨房』© COPYRIGHT ZONA CERO CINE 2023
境界線を超えていく
そしてもう一つ、映画版を通じてひしひしと感じられるのが「境界線」という概念だ。
序盤、少女が店にたどり着くまでの撮影はニューヨークの市街地で行われたが、そこから調理場へ足を踏み入れると、そこはもうメキシコ・シティのサウンドステージに組まれたセット内。登場人物や観客は全く気づかぬうちに、編集の魔法としてこの二国間を一瞬にして超越するわけである。
これを映画作りにおける効率上の措置とする見方もあるだろう。だがこの一点をあえて意識して作品を見つめると、物事を隔てる「境界線」や、人や物事を差別化して封じ込める「壁」への目線こそが、息吹となり血流となり、魂になって本作を構築していることに自ずと気づかされるのだ。