『ラ・コシーナ/厨房』あらすじ
ニューヨークの大型レストラン「ザ・グリル」の厨房は、いつも目の回るような忙しさ。ある朝、店のスタッフ全員に売上金盗難の疑いがかけられる。加えて次々に新しいトラブルが勃発し、料理人やウェイトレスたちのストレスはピークに。カオスと化した厨房での一日は、無事に終わるのだろうか…。
厨房、それはいっときも気の休まらない特殊な領域だ。もしくは外界から隔絶された一つの階級社会というべきか。国や地域によってはここが様々な移民のひしめく人種の坩堝と化す場合も多い。中には調理場の長や経営者があたかも君主のごとく権威を振りかざすケースだってあるだろう。少なくともアメリカとメキシコの合作『ラ・コシーナ/厨房』(24)の主戦場となるニューヨークの大型レストランは、そんな一筋縄ではいかない過酷な現場である。
本作はNYにやってきたばかりの移民少女の目線でこの閉鎖的な世界を見つめてゆく。舞台はニューヨークのタイムズスクエアに建つ「ザ・グリル」。表向きは多くの観光客をもてなす華やかで明るい装いだが、そのバックヤードでは膨大なオーダーと料理皿が無尽蔵に飛び交い、地獄の回転木馬のような状況が広がる。
そんな中、メキシコ移民のコック、ペドロ(ラウル・ブリオネス)は、アメリカ人ウェイターのジュリア(ルーニー・マーラ)との恋愛関係に苦悩し、かと思えば、感情を抑えきれずすぐに激昂する。同僚と喧嘩するなどトラブルも多く、しまいには「売上金がなくなった」として疑いの目が向けられ、あらゆる問題が宙ぶらりんのまま、時刻は地獄のランチタイムへ。途中、機械の故障で床にはチェリーコークがあふれ出し、従業員は皆思い切り足を取られながら、それでも休むことなく、大混乱の中でただただ労働は続いていく…。
『ラ・コシーナ/厨房』© COPYRIGHT ZONA CERO CINE 2023
Index
生々しい経験から生まれた臨場感あふれる物語
原作は、英国の作家アーノルド・ウェスカー(1932~2016)がロンドンの飲食店を舞台に書き上げた戯曲「調理場」。もともとウェスカーは、イギリス空軍の除隊後に様々な職業を転々とする中、飲食店での仕事にも従事した経歴の持ち主。この物語には、彼が生身の体で体感した味、匂い、空気、人間模様が存分に詰まっている。
一方、脚本・監督を務めるメキシコ生まれのアロンソ・ルイスパラシオスは、2000年代、演劇を勉強しながらロンドンのピカデリーサーカスにある大型レストランで皿洗いやウェイターとして日銭を稼ぐ中、まさに自身が目にしている光景を投影したようなウェスカーの戯曲と出会い、惚れ込んでいった。
もともと、調理場の従業員たちがそれぞれの持ち場でひっきりなしに手を動かしながら、各々のセリフを発する戯曲ではあるが、それに輪をかけて、映画版では「臨場感」こそが物を言う。壮大なストーリー的盛り上がりや心揺さぶる感動を期待するよりは、むしろ一瞬一瞬の生々しい混沌や波乱万丈さにどっぷりと身を浸し、我々も現場の一員となったつもりで一部始終を目撃することに大きな意味があるのだろう。
ではこの臨場感を手にするため、監督はどのような創意工夫を施したのだろうか。当然ながら、本作は俳優が何も役作りしないまま手ぶらで演じられるシロモノではない。主要キャスト(ルーニー・マーラを除く)は1ヶ月に及ぶ役作りの過程で、調理のノウハウや身のこなし方を一から体に叩き込み、その上で即興演技のトレーニングなどを重ねつつ、各々の対応力やチームワークを習得していったとか。
とりわけランチタイムに巻き起こる14分間の長回しなどはその最たる成果。どれだけ注文が飛び交っても、どれほどカオスが蔓延しようとも、カメラや演技は止まらないし、止められない。物語的には個性バラバラな彼らが、裏ではスタッフ&キャスト共に舞踏集団のごとく心と呼吸を一つにうごめいている。その様子がダイレクトに伝わる必見のシーンだ。