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『顔を捨てた男』変身の先に待つ地獄を描く、大胆不敵なスリラー ※注!ネタバレ含みます
カッティング・エッジなアイデンティティ論
憧れのイングリッドとも付き合うことになり、順風満帆ライフを送るエドワード。そんな彼の前に現れたのが、かつての自分と瓜二つの顔でありながら、自信に満ちたカリスマ性を放つ男、オズワルド(アダム・ピアソン)だ。
気さくでジョークが得意、人を楽しませることに長けた天性のエンターテイナー。『バットマン』シリーズに登場するヴィラン、ペンギンことオズワルド・チェスターフィールド・コブルポットが、低い身長、小太りな体型、そして嘴のような鼻という身体的特徴にコンプレックスを抱いていたのとは異なり、こちらのオズワルドには劣等感が微塵も感じられない。
そんな彼との出会いが、エドワードを再び深い苦悩へと突き落とす。イングリッドが、エドワード役をオズワルドに譲り渡してしまったからだ。嫉妬に狂い、やがてオズワルドを目の敵にするように。“ガイ”としてノーマル・フェイスを手に入れたにもかかわらず、エドワードはかつての自分に瓜二つの男に執着するようになる。
ここには、明らかな転倒がある。彼は、コンプレックスの原因が“醜悪な顔”にあると信じていた。しかし、その顔を捨て去った後も、彼を蝕む内面的な問題は解決されない。天井に空いた穴を修理してもらったエドワードが、自らそれを破壊するシーンは象徴的だ。彼はいまだ心に空洞を抱えている。エドワードは本当の意味で自己を受容できていないし、劣等感は根強く残ったままだ。
第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たなければならない」という言葉を残している。年を重ねるごとに、その人が培ってきた性格、思想、経験が、表情や顔の印象として現れてくるという意味だ。変身前と変身後のエドワードが、リンカーンに扮した大道芸人と目を合わせるシーンが挿入されるが、この場面はまさにリンカーンの言葉を象徴している。
『顔を捨てた男』© 2023 FACES OFF RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
エドワードは顔を変え、過去を捨て去ろうとするが、コンプレックスは解決されていない。リンカーンが見つめるその視線は、たとえ外見が大きく変わっても、エドワードがいまだに自身の内面、すなわち「顔に責任を持つ」ことができていないことを見透かしているかのようだ。この対比は、外見の変化だけでは真の自己変革は訪れないという、映画の核心的なテーマを明確に示唆している。
ラスト20分は怒涛の展開だ。怒りに駆られたエドワードが舞台に乱入。オズワルドとの激しい揉み合いの中、セットが崩落し、エドワードは腕と足を骨折してしまう。ギプスをつける羽目となり、イングリッド、オズワルドとの奇妙な共同生活がスタート。この期間がエドワードに変化をもたらしたのか、理学療法士がオズワルドに悪態をつくのを見て、エドワードは激高。その勢いで理学療法士を刺してしまい、今度は長い投獄生活が始まる。
出所後、久しぶりに再会したエドワード、イングリッド、オズワルドの3人。夕食を囲む中、イングリッドとオズワルドは間もなくカナダへ移住して、カルト教団への入信準備を進めるのだという。彼らの人生は流転のように移り変わっていくが、エドワードだけは何も変わらない。そしてオズワルドは、ふと彼のことを「エドワード」と呼ぶ…ガイという名前しか知らないはずなのに。
最初から彼の正体を知っていたのか?思わず役名で呼んだだけなのか?共同生活のなかでエドワードが自ら秘密を明かしたのか?真相はいっさい明かされない。だが少なくとも、「たとえ顔が変わったとしても、エドワードはガイではなくエドワードのままだ」という、根源的なアイデンティティ論で物語は幕を閉じる。その強烈な切れ味。インパクトの強さ。A24らしいカッティング・エッジなセンスをビンビンに感じてしまう。