
© 2023 FACES OFF RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
『顔を捨てた男』変身の先に待つ地獄を描く、大胆不敵なスリラー ※注!ネタバレ含みます
※本記事は物語の結末に触れているため、映画未見の方はご注意ください。
『顔を捨てた男』あらすじ
顔に極端な変形を持つ、俳優志望のエドワード。隣人で劇作家を目指すイングリッドに惹かれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼はある日、外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の“新しい顔”を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、かつての自分の「顔」に似たカリスマ性のある男オズワルドだった。その出会いによって、エドワードの運命は想像もつかない方向へと猛烈に逆転していく───。
Index
EdwardからGuyへ
「確かに私の姿は奇妙だ。しかし、自分を責めることは神を責めることになる」
19世紀のロンドンで“エレファント・マン”と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックは、自伝でこのような言葉を残している。特異な容姿のため、見世物小屋で奇異の眼差しに晒されてきた彼は、やがてトリーヴス医師との交流を通じて、人間としての尊厳を取り戻していく。繊細で優しく知性にあふれた彼の生涯は、デヴィッド・リンチ監督の映画『エレファント・マン』(80)によって、広く知られることになった。
一方、『顔を捨てた男』(23)の主人公エドワード(セバスチャン・スタン)は、ジョゼフ・メリックとは対照的な存在。彼もまた病気のために顔が大きく変形しているが、自身の引っ込み思案な性格や、社会への不適応をすべて見た目のせいだと決めつけ、やり場のない怒りを抱えて生きている。地下鉄に乗れば、周囲の視線に怯えてしまう。劇作家志望の隣人イングリッド(レナーテ・レインスヴェ)と親しくなっても、過度な緊張から募る想いを伝えられない。「自分を責めることは神を責めることになる」とは真逆の、運命を呪い、自分を呪い、そして神を呪う日々。
エドワード(Edward)という言葉は、「ead」(富、繁栄)と「weard」(守護者、保護者)を組み合わせた古英語の「Eadweard」に由来している。すなわち「富裕な守護者」、あるいは「幸せな守護者」。しかし映画のエドワードは、自分自身を守ることすらままならない。名前が持つ本来の意味と、彼の現状との間の皮肉な対比。
『顔を捨てた男』© 2023 FACES OFF RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
『シザーハンズ』(90)に登場する人造人間エドワードも、特異な外見ゆえに社会から隔絶されてしまう、哀しいキャラクターだった。都市伝説に登場する19世紀イギリスの貴族エドワード・モルドレイクは、後頭部にもう一つの顔があったといわれ、「悪魔の顔」を取り除いてほしいと医師に懇願したが叶わず、若くして自ら命を絶つ。『顔を捨てた男』のアーロン・シンバーグ監督は、このあたりにヒントを得て主人公の名前をエドワードにしたのかもしれない。
やがて、画期的な治療によって新しい顔を手に入れたエドワードは、自らを“ガイ”と名乗り、自宅を訪れた医師には「彼は自殺で亡くなった」と偽る。顔を捨て、名前を捨て、過去を葬り去ることで、彼は人生のリセットボタンを押したのだ。一般男性を意味するガイ(Guy)を名前に選んだのは、ノーマルライフを送りたいという欲望の表れだろう。
ところが、話はここで奇妙な方向へと転じていく。イングリッドがかつてのエドワードを主人公にした戯曲を書き上げ、もともと俳優志望だったエドワードが、正体を隠してその役を演じることになったのだ。エドワード役は、エドワード以外に考えられない。かつての忌まわしい顔をマスクとして装着し、彼は在りし日の自分を“再演”する。現実と虚構の交錯。
思えばアーロン・シンバーグの前作『Chained for Life』(18)も、顔に異常を持つ人々を治療しようとする独裁的な医師の物語を、“映画内映画”という構造で描いた作品だった。この大胆不敵なフィルムメーカーは、不思議な二重構造によって、表面的な多様性への配慮の裏に潜む無意識の差別、外見至上主義(ルッキズム)を強烈に風刺する。