2025.08.12
自らの手で小説を映像化し、世に問う
「この小説が世に出てから最初の20年間、何度もオファーがあった」とダルトン・トランボは振り返っている。「この小説は明らかに、私がこれまでしてきたことのなかで最高のものであり、もしかしたら唯一の良いものなのかもしれない」(*2)とも語っている。輝かしいキャリアでも、『ジョニーは戦場へ行った』が特に重要な地位を占めていることがうかがい知れる発言だ。
実は、『アンダルシアの犬』(28)や『忘れられた人々』(50)で知られるシュルレアリスム映画の巨匠ルイス・ブニュエルが、この映画を監督するというプランもあった。1964年、ブニュエルの代理人から仕事の依頼が舞い込み、トランボは彼とメキシコでしばらく時間を過ごし、脚本の執筆に着手している。結局この企画は資金不足で頓挫してしまうものの、トランボはこの奇才とのコラボレーションを真剣に検討していた。
「ブニュエルならどう作っただろうかと、ずっと興味があった。彼なら民主主義を徹底的に攻撃したと思う。彼のアプローチは、私よりも衝撃的だっただろうと想像している」(*3)
だが、最終的にトランボは自らの手で映画化することを決意する。ブニュエルが描いたであろう「民主主義への攻撃」というアプローチは、彼自身の思想とは大きく方向性が異なるものだった。トランボが目指したのは、戦争の非人道性を訴え、人々の心に深く響く反戦のメッセージ。ブニュエルの過激すぎる表現では、その目的から逸脱する恐れがあったのだ。
『ジョニーは戦場へ行った』©ALEXIA TRUST COMPANY LTD.
小説が出版されたときも、彼がブラックリスト入りしたときも、戦争は常に身近にある脅威だった。そして時代は再び、ベトナム戦争という新しい局面に突入。今だからこそ、『ジョニーは戦場へ行った』はより多くの人々に観てもらう必要がある。トランボは自身の信念を貫くため、この作品を世に送り出すという使命感のため、監督という道を選ぶ。
『ジョニーは戦場へ行った』を自らの手で完成させることは、長いあいだ水面下での活動を強いられてきた彼にとって、まさに集大成となる一大プロジェクトだった。自身の原点であるこの作品を、自分の手で映像化し、世に問うことは、彼にとって特別な意味があったはず。この映画は、作家ダルトン・トランボのメッセージを世界に届けただけでなく、監督ダルトン・トランボの新たな出発点となったのである。