2025.08.12
『ジョニーは戦場へ行った』あらすじ
ジョーが目を覚ますと、病院のベッドの上に横たわっていた。第一次世界大戦下、志願してヨーロッパ戦線に出征したアメリカ兵の彼は、砲弾により目、鼻、口、耳を失い、運び込まれた病院で両腕、両脚も切断。首と頭がわずかに動き、皮膚感覚だけが残ったが、姓名不詳の<407号>と呼ばれ、軍部の実験材料として生かされる。鎮痛剤を打たれ意識が朦朧とする中、ジョーは想いを巡らせる。最愛の恋人カリーンとの出発前の一夜、釣り好きだった父親と過ごした日々…。
Index
愛国歌「Over There」への痛烈なアンチテーゼ
Johnny Get Your Gun、Get Your Gun、Get Your Gun
Take It On The Run、On The Run、On The Run
Hear Them Calling You And Me
ジョニーよ銃を取れ、銃を取れ、銃を取れ
逃げろ、逃げろ、逃げろ
お前と俺を呼ぶ声が聞こえるだろう
ジョージ・M・コーハンが1917年に発表した曲「Over There」は、「Johnny Get Your Gun」という力強い呼びかけで始まる。時は、アメリカが対独宣戦布告をして、第一次世界大戦に参戦した時代。若者たちの愛国心を鼓舞し、士気を高めるためのプロパガンダ・ソングとして人気を博した。ウィルソン大統領は、この歌を「全てのアメリカ人男性にとって真のインスピレーションだ」(*1)と称賛。この歌を含む愛国的な作品を数多く作った功績により、コーハンは1936年に議会名誉黄金勲章を授与されている。
この曲をタイトルに引用したのが、ダルトン・トランボが1939年に発表した小説『Johnny Got His Gun』。ただし、「Johnny Get Your Gun」のGetは過去形のGotに変更されている。ジョージ・M・コーハンが「銃を取って英雄になろう!」と歌った歌詞を、「銃を手にした結果、人間としてのあらゆる尊厳を失った」という痛烈なアンチテーゼとして反転させたのだ。
物語の主人公は、第一次世界大戦で全身に重傷を負った兵士、ジョー・ボナム。彼は砲弾の直撃を受けて顔と四肢を失うものの、軍の実験材料として生かされ続けていた。ジョーは枕に頭を打ちつけてモールス信号を送り、自分は生きる屍ではなく意識があることを伝えようとする。だが軍にとって、もはや彼に意思があるかどうかは問題ではなかった。ジョーは現実と幻想の狭間をさまよいながら、絶望に苛まれる。
『ジョニーは戦場へ行った』©ALEXIA TRUST COMPANY LTD.
1930年代後半から40年代前半にかけて、ダルトン・トランボは高額のギャラを受け取る有名脚本家として名を馳せていた。サム・ウッド監督の『恋愛手帖』(40)、エドワード・ドミトリク監督の『夫は還らず』(43)、ヴィクター・フレミング監督の『ジョーという名の男』(43)(のちにこの作品は、スティーヴン・スピルバーグ監督が『オールウェイズ』(89)としてリメイク)、マーヴィン・ルロイ監督の『東京上空三十秒』(44)…。『Johnny Got His Gun』は、もともと小説家志望だったトランボの、キャリア最盛期に執筆された小説だったのである。
だが第二次世界大戦が激化すると、反戦的な内容が「戦意を喪失させる危険な思想」と見なされ、発禁処分に。さらに1940年代後半になると、共産党員だったトランボ自身も赤狩りによって投獄され、ハリウッドのブラックリストに載せられてしまう。だがそんな困難にあっても、彼は偽名を使って密かに脚本を書き続け、『ローマの休日』(53)と『黒い牡牛』(56)の2作品でアカデミー賞受賞という偉業を達成する。このあたりは、ブライアン・クランストンがトランボを演じた『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15)で詳しく描かれているので、興味のある方は是非。
1960年代に入ると、ようやく『スパルタカス』(60)や『栄光への脱出』(60)といった作品の脚本で実名をクレジットできるようになり、トランボは脚本家としての地位を取り戻す。そして晩年、自身の小説を自らの手で映画化したのが、反戦映画の傑作として誉高い『ジョニーは戦場へ行った』(71)なのである。